第七百六十五夜 今井千鶴子の「元旦」の句

 2022年1月1日、元旦である。昨日の大晦日は、「年守る」の季語を実践しようという決意ほどでもないが、今日の新年の支度をことこと仕上げていた。紅白歌合戦を観ていたのでもなく、例年ように除夜の花火見物に牛久大仏まで出かけたのでもなく、厨仕事をした。
 お陰で、今朝はスムーズに新年の食卓が出来上がった。姑も母も亡き今、私は、かなり手抜きの十年あまりを過ごしていた。
 
 午前中は、娘と犬のノエルを連れて四季の里公園に出かけた。中央にある池を覗くと紺碧の空と白い雲が映っていたが、辺りは、何もかも枯れたベージュの世界! 歩きながら、大木の影の美しさにだんだん惹かれはじめ、スマホのカメラに取り込みはじめた。
 枯木のベージュと影のブラックと空のダークブルーの世界であった。

 今宵は、「正月」「元日」「新年」の作品を見てゆこう。

■1句目

  元旦や洗ひしごとく町静か  今井千鶴子 『蝸牛 新季寄せ』
 (がんたんや あらいしごとく まちしずか) いまい・ちずこ

 大晦日の昨日は、犬のシャンプーをし、玄関先の冬日向で乾き終えて室内に戻した夕方、私は、玄関から庭まで水で洗ったり水を撒いたりした。タイルやレンガが見違えるように美しさを取りもどした。
 
 私は、今井千鶴子さんの作品の中七の「洗ひしごとく町静か」を思ったのであった。「洗いたて」「洗ったあと」はなぜ、かくも「静か」の形容がふさわしいと感じるのであろうか。
 
 掲句はこうであろう。元日の街が洗いたてなのは、わが家でもしているように、家々も店も会社もみな、一年の最後の掃除をするからである。でも、元旦の町を「洗ひしごとく」「静か」と捉えて描写した作品を、私は、この句で初めて見たように思った。

 今井千鶴子さんは、今井つる女の長女として東京に生まれる。両親からの影響で早くから句作し、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務。高濱虚子の口述筆記を行うなどした。深見けん二先生とともに「珊」を創刊した。深見けん二に千鶴子さんを詠んだ〈卒寿なるガールフレンド初電話〉がある。
 
■2句目

  百歳は遠し白寿の年迎ふ  深見けん二 『もみの木』
 (ひゃくさいは とおしはくじゅの としむかう) ふかみ・けんじ

 深見けん二先生は、「ホトトギス」では高浜虚子に19歳から師事し、東京大学では同じ工学部卒の山口青邨の「夏草」にも所属した。平成3年に俳句結社「花鳥来」の主宰となった。虚子よりも長い80年の俳歴である。
 
 『もみの木』は、先生の第11番目の句集。掲句は、2020年(令和2)に収められている。句集『もみの木』は、2018年、2019年、2020年、2021年の3月までの作品が収められている。しかも、この句集が私たちに贈呈してくださることになっていた日の、僅か数日前に亡くなられているので、句集『もみの木』を開くのが辛く思うことがある。
 
 弱られていることは、少しずつ感じてはいたが、欠席投句に添削の赤字を入れてくださり短かかったけれども最後の手紙を頂いたのは、お亡くなりになるひと月前であった。最後の最後まで、矍鑠としたお声でお電話くださり、お手紙もくださった。
 
 掲句は、3月5日生まれの先生が、今年は白寿になるのだなあ・・だが百歳というのは遠く感ぜられる・・と元日にしみじみ思われたのであろう。