第七百六十六夜 横山節子の「箱根駅伝」の句

 今日は、2022年(令和4)1月2日、「箱根駅伝」1日目である。嬉しいことに、往路優勝は青山学院大であった。令和2年1月2日の「千夜千句」の第五十五夜で、梅田美智さんの「箱根駅伝」の俳句を英語の「haiku」とともに紹介した。
 
 sash to runner,,,
  sash to runner,,,
   sash to runner,,,
    new year road race
    
 (駅伝のたすきをつなぐ明の春  梅田美智)

 梅田美智さんは、青山学院大学英米文学科でESSに所属していた、私の大先輩である。30年ほど前であったか、ESS・OB会会報誌の打合せの席で初めて出会い、「甘藍」同人の俳人であることをお聞きした。記憶は曖昧だが、美智さんは、俳句と一緒に英語の「haiku」も投句されるようになっていた。いつかESS・OB会報誌の俳句欄に載せた、互いの句の感想をメールで交換するようになっていた。
 そして箱根駅伝に青山学院が登場して初の総合優勝を遂げた5年前からは、お正月の挨拶は「箱根駅伝・・おめでとう!」に変わった。掲句を見たのは、青学大の優勝2年目の作品だったと思う。

 鑑賞してみよう。

 駅伝の命は「たすきをつなぐ」ことである。1人のランナーが20キロ近く走り終えて、次のランナーへ手渡すのが「sash to runner」(ランナーへのたすき)だ。テレビ中継でも、箱根駅伝の舞台に立つまでのランナーたちの苦闘や苦悩のエピソードを伝えてくれるが、誰もがすんなりと駆け上がってこれた舞台ではなかった。さまざまな思いを抱えて走り続けているのだ。たすきを受け取る次のランナーも、仲間の走者からたすきを手渡されて走ることは嬉しいに決まっている。だから前のランナーの思いも抱えながら一生懸命に走る・・それが「つなぐ」ことであろう。
 1句中に同じフレーズを3回繰返すことで、走るという単純なひたすらな動作となり、10人のランナーがつなぐ「駅伝」の姿になった。
 美智さんの俳句も英語「haiku」も、「箱根駅伝」という言葉は用いてはいない。「たすきをつなぐ」としたことで、箱根駅伝の本意を掴んだ作品となったのではないだろうか。
 
 箱根駅伝の正式名は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。当時読売新聞社会部長の土岐善麿(後の歌人)の発案によって始まったもので、今年は「箱根駅伝」が生まれて102年目である。
 往路は、東京大手町の読売新聞社前をスタートしてフィニッシュは「箱根町箱根」。復路はその逆となる。2日間をかけ、往路優勝と復路優勝があり、往路復路を制すると「総合優勝」である。青山学院大学は、4連覇のあと昨年は逃したが、令和2年、5回目となる令和初の総合優勝を成し遂げた。

 今宵も、「箱根駅伝」の作品を紹介してみよう。


  箱根駅伝荒息の背に旗振りぬ  横山節子 『蝸牛 新季寄せ』
 (はこねえきでん あらいきのせに はたふりぬ) よこやま・せつこ

 梅田美智さんの作品は、箱根駅伝を走るランナーを詠んだものだが、掲句は街道で応援している景である。応援する人は、駅伝を走る大学の卒業生や駅伝が好きなファンで要所要所に集まって旗を振って声をあげて応援している。コロナ禍になって、大勢が集まることは制限されているが、熱心なファンは身近で見たくてしょうがない。
 
 中七の「荒息の背」は、1区間20キロ前後を全速力で走ってゆく選手の姿である。テレビ観戦では、聞こえない荒息の音も、間近を通りすぎる瞬間、見たのだ。横山節子さんご自身のことであろうか、必死になって旗を振って応援した。