第七百六十八夜 堀内薫の「初日記」の句

 元日には、皆様に新年のご挨拶も申し上げずにいきなり「千夜千句」を書き始めてしまった。改めて、
 明けましておめでとうございます。
 
 令和4年1月1日、第七百六十五夜からスタートした「千夜千句」は、無事にゆけば目標とした11月10日の、私の喜寿の誕生日までには「千夜千句」のゴールを切ることができそうである。出身校は青山学院大学。箱根駅伝は往路復路の完全優勝を果たした。私も走りつづけよう!
 
  優勝の箱根駅伝わが母校   みほ
  はしる襷つなぐ襷や今朝の春  々

 今宵は、「初日記」を紹介してみよう。

■初日記

  新日記三百六十五日の白  堀内 薫 『新歳時記』平井照敏編
 (しんにっき さんびゃくろくじゅうごにちのしろ) ほりうち・かおる

 年内に買っておいて、新年になったら書きはじめるのだと、あれこれ考えながら、ぱらぱらと頁を繰っている。まだ一文字も書いていないノートの新日記だ。
 お洒落なノートを見つけて、毎年同じノートを買ってきて、表紙には「〇〇年」と書いておく。だが、「1月1日」のところは白いままにしておこう。もちろん、全ての頁は白いままだ。
 
 「新日記」の作品を探していて見つけた句。「三百六十五日の」は、1年間を表す数字であった。「白」は、これからの日々の全てを書き込む無垢の頁である。
 
 堀内薫(明治36年-平成8年)は、奈良市の生まれ。「京大俳句」にて平畑静塔の指導を受け、「天狼」にて山口誓子・橋本多佳子に師事。のちに「七曜」を主宰する。

■初暦

  初暦わが起ち上る日はどの日  日野草城 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (はつごよみ わがたちあがる ひはどのひ) ひの・そうじょう

 日野草城は、明治34(1901)年東京上野の生まれ。父の仕事の関係で京城で過ごした草城は、大正7年の京大三高入学を機に京都住まいとなり、その8月に18歳でホトトギス初入選をし、「京大三高俳句会」の中心的存在となる。
 順調にホトトギスで異彩を放つ才人として活躍していた草城は、昭和10年、第3句集『昨日の花』を刊行した。句集には「ミヤコ・ホテル」連作10句が収まっており、性を扱ったことだけでなく、連作、虚構、無季など多くの問題を孕んでいたことから、賛否両論が激しかった。
 虚子は、無季俳句に真っ向から反論することはなかったが、昭和11年10月号の「ホトトギス」で突然に吉岡禅寺洞、杉田久女とともに草城の同人を除籍した。
 
 草城の除籍の理由は「ミヤコ・ホテル」であったという。そして20年近くが過ぎた昭和30年1月号「ホトトギス」により同人復帰となった草城は、亡くなる一年前の昭和30年5月23日、虚子先生を草舎(自宅をこう呼んだ)に迎えた。
 草城はその時、虚子を〈先生はふるさとの山風薫る〉と詠んでをり、まさに虚子は草城俳句の「ふるさとの山」であったのである。
 
 掲句は、戦後に病床で寝たきりの身のままに「旗艦」の主宰をしていた草城が、初暦を見ながら、「どの日あたりに、床を起ち上がることができるだろうか」と、しみじみ考えていた時に詠んだものであろう。