第七百六十九夜 高浜虚子の「加留多」の句

  単純化、具象化
 
 比較的単純化の出来ている句は面白く、単純化の出来てゐない句はつまらなかつた。
 又具象化の出来てゐる句は面白く、具象化の出来てゐない句はつまらなかつた。
 俳句は簡単なのが武器である。長所である。その事を忘れて、言ひ尽くさうとして多くの材料を用ゐ、多くの言葉を費やすものは、自己の武器を忘れたものであり、長所を忘れたものである。
 又俳句は説教をするものでもなく、主張をするものでもない。俳句は文芸である。
 文芸であるが故に描写の力が俳句の価値を左右する。(略)
   『虚子俳話』〈31・1・15〉より

 今宵は、「歌留多」の作品を紹介しよう。

■1句目

  加留多とる皆美しく負けまじく  高浜虚子 『五百五十句』
 (かるたとる みなうつくしく まけまじく) たかはま・きょし

 「加留多」は、百人一首のことで、(歌留多、加留多、賀留多、嘉留太、歌流多、哥留た、樗蒲、軽板、紙牌、骨牌)などと表記される。
 昭和12年1月8日作。丸ビルにある虚子の事務所の集会室での草樹会の集まりがあり、お正月の初句会には晴着で集まる。この日も題詠の1つに「加留多」であったのだろう。

 句意はこうであろう。加留多とる女たちは皆美しく、明るい嬌声をあげながら夢中になっている。若い女たちは誰も、加留多に負けたくない。もしかしたら、この時代は待合などで芸妓も同席しての会合であったのではないか。
 
 虚子は「皆美しい女である。どれも負けさせたくない。」と、『喜寿艶』に載せた句に短いコメントを付けていた。
 同日に、〈双六に負けおとなしく美しく〉の作がある。

■2句目

  かるたとりおとうとの手が早かった  小1 中田しげき 
 (かるたとり おとうとのてが はやかった) なかだ・しげき

 お母さんやお姉さんが読み手となり、「あたま かくして しりかくさず」「かえるのこは かえる」「おにに かなぼう」などと、大きな声で読むと、子どもは、「あたま」の「あ」だけで、札にさっと手をのばす。お兄ちゃんより弟の方がすばやく札を取ることができた。お兄ちゃんはくやしい気持ちは見せず、もうお兄ちゃんだから、弟の方が早かったね、と余裕の顔をしている。
 
 もう60年も昔のわが家はこうだった・・。
 「お父さんもお母さんも、子どもとゲームをして負けてあげようなんて、これっぽちもおもいません。いつだって真剣勝負です。
 ノンちゃんもタロくんも小さいころは、1枚もとれなくて泣きました。
 さすがにお母さんは、負けようかな、とおもいましたが、2年後、3年後どんどんつよくなったノンちゃんは、歌留多取りでは無敵です。」
 わが家では、おとうとは歌留多取りで勝ったことないかもしれない。
 
 2句目は、『名句もかなわない子ども俳句170選』あらきみほ編著より紹介した。