第七百七十夜 正岡子規の「雪」の句

 昼食を終えて、テレビの前でうとうとしていると、
 「おい! 雪が降っているぞ!」と、夫。
 30メートル先の雑木林の枝々が雪をかぶっていた。
 なんと美しいこと!
 さっそく飛び出した娘が、
 雪景色の写真を撮って見せてくれた。
 
 2年前の12月に私が転倒していなかったら・・
 すぐにも雪だるまを作りはじめただろうな・・
 黒犬ノエルがはしゃぎ回ったろうな・・
 まっ、いいか!
 今年の11月には77歳の誕生日を迎えるのだから・・
 父は77歳、母は81歳まで生きた!
 私にも、けじめの齢が近づいている・・
 いま、松が丘7丁目の屋根屋根を、雪が5センチばかり・・
 
 今宵は、正岡子規の「雪」の作品を見てみよう。
 
■1句目
 
  雪ふるよ障子の穴を見てあれば  正岡子規
 (ゆきふるよ しょうじのあなを みてあれば) まさおか・しき         

 紹介する4句は、明治29年の作。この頃の子規は脊椎カリエスの病名が判明して、病臥の生活であった。外出したのは、子規の家から歩いてゆける中村不折邸での闇汁句会に参加した時くらいであった。
 
 今日、紹介する作品は、雪の降る夜の布団から眺めた、連作4句である。
 
 横たわっている子規に、母か、妹の律が「雪が降ってきましたよ。」と声をかけたのであろう。障子の穴とは、子規が寝たきりになってからも庭を見ることができるようにと、障子の桟の一枠をガラス張りにしていた部分のことである。
 
 句意は、ああ、雪が降ってきた。何気なく障子の穴を見ていると・・となろうか。

■2句目

  いくたびも雪の深さを尋ねけり  正岡子規
 (いくたびも ゆきのふかさを たずねけり) まさおか・しき

 天から降ってくる雪を、布団に横たわった姿勢で眺めるのは、子規の身体の上に落ちてくる感覚であったかもしれない。また、布団に伏せて腕を立てていれば、雪は起きて眺めるのと同じで、上から下へ降ってくる感覚であったろう。
 
 子規は首をもたげては庭を眺め、何度も何度も、「雪の深さはどれくらいになっただろう?」と、母に尋ね、妹に尋ねた。

■3句目

  雪の家に寐て居ると思ふばかりにて  
 (ゆきのやに ねているとおもう ばかりにて) まさおか・しき

 「雪の家」という言い方が素敵だ。外は雪が降っている。そして雪が降っているということは、雨のように音を立てることはなく、そこはかとなく迫る寒さであり、しんしんとした静けさである。
 
 4句が連作なので、先ほどまでは、雪がどれくらい積もったのか気になって、子規は母や妹に尋ねていた。だが雪の深さを尋ねるのはもう充分だ。
 そう思った時、子規は、自分はやっぱり寝ているばかりなのだと、淋しくなった。

■4句目

  障子明けよ上野の雪を一目見ん
 (しょうじあけよ うえののゆきを ひとめみん) まさおか・しき

 4句連作の最後の作品だ。障子の穴を見、雪が降っていることに気づき、母と妹に雪の深さを何度も尋ねた。だが、子規自身は寝ているだけであった。なんだか、受身ばかりではないか。積極的に動いてもみたい。
 
 子規は、障子をパアッと開けてくれと言った。子規の住む根岸から上野までは坂を上ってすぐ近くだ。否、障子を開けただけで、上野に降る雪を思い描くことはできよう。「上野の雪を一目見ん」からは、そうした子規の覇気が感じられた。

 『子規秀句考』宮坂静生著を参考にさせて頂いた。