第七百七十一夜 高浜虚子の「人日」の句

 今朝は、5時前にはぱっちり目覚めてしまった。カーテンを開けると外はまだ暗い。夜明けは何時頃になるのだろう。ネットで調べてみると、今日の夜明けは6時23分、日の出は6時51分とあった。
 そう言えば地平線あたりには仄かに赤みが射しているが、まだ太陽は出てはいない。それから何度も大通りへ出てみた。日の出は、調べた通りの23分後の6時51分であった。「夜明け」と「日の出」は違うんだ! 毎朝のように見て感じているのに、俳句に携わって50年、私自身も俳句を詠むようになって35年にもなるのに、知らない言葉の何と多いことだろう!
 
 夜明け頃には起きて、昨日降った雪がのこっている庭へ犬を出した。喜ぶだろうと思ったのに、すぐに家に入りたいと吠え出した。
 「雪が降れば どの犬も喜ぶと思うのは間違いだな!」「君の方が、犬みたいだ!」と、夫。

 今宵は1月7日、「人日」の作品を見てみよう。

■1句目

  何をもて人日の客もてなさん  高浜虚子 『六百五十句』
 (なにをもて じんじつのきゃく もてなさん) たかはま・きょし
 
 中国では正月1日から8日までに、鶏、狗(いぬ)、羊、猪、牛、馬、人、穀の順に創造されたと言い伝えられている。そこで、正月からの8日間にこれらを振り当て、その年1年の吉凶を占うことになり、7日目は、「人」を占う日に当たるので「人日」と呼ばれるようになったのだと言われている。
 
 掲句は昭和21年1月7日の作。虚子は、昭和19年9月4日に信州小諸に疎開した。虚子が鎌倉の自宅へ戻ったのは、3年後の昭和22年であった。
 正月になると、東京からも新潟や石川や京都などの北陸地方からも、「ホトトギス」の大勢の弟子たちが挨拶に訪れる。
 
 虚子は、終戦直後のことでもあるし、懐かしい弟子たちの集まりでもあるし、お酒も御馳走もできる限り、もてなそうと考えているのだ。まして今日は人日の日である。正月7日は七草粥を食べる日でもある。そうだ、鍋いっぱいの七種粥でもてなそう。
 同日、掲句とともに〈有るものを摘み来よ乙女若菜の日〉と詠んでいた。
 
 寡黙な虚子だが、こうした気働きの人であった。

■2句目

  人日や牛にもならずながらへて  山口青邨 『不老』
 (じんじつや うしにもならず ながらえて) やまぐち・せいそん

 この作品に触れたとき、中七の「牛にもならず」はどういうことだろうと、意外な発想に驚いた。季語「人日」の説明を見直してみると、中国では正月1日から8日までに、鶏、狗(いぬ)、羊、猪、牛、馬、人、穀の順に創造されたと言い伝えられているとある。
 
 句意はこうであろうか。山口青邨は、天が創造した鶏、狗、羊、猪、牛、馬、人の、5番目の「牛」として生まれたのではなく、7番目の「人」として生まれて、こうして長生きしてきたことに、一抹の安堵を覚えているのですよ、ということである。