第七百七十二夜 矢島渚男の「水仙」の句

 4年間住んでいた長崎市から夫とともに東京へ戻って、もう50年は過ぎた。若かった私たちは、赤いホンダのクーペに乗って長崎市から小1時間ほど走って野母崎半島を先端まで南下して、野母崎高校で英語教師をしていた友人の遠山さんを連れ出しては、野母崎半島を遊び回った。
 
 1番に思い出すのは、樺島灯台公園。ここまで車を走らせて登ると360度の海のパノラマが広がる。海上の西側に五島列島が見え、北側には長崎半島が細長く続いている。
 
 また思い出すのは、東京に出て20年目の2月の初め、長崎の夫の実家に戻ったとき、姉が、野母崎の樺島灯台公園にある1000万本の水仙公園へ連れて行ってくれた折のことだ。1000万本の水仙畑に座り込んだ姉と私たちは、すぐ近くに海の波音を聞きながら、水仙の芳香のど真ん中に居た。
 
 ヒガンバナ科の多年草で野生の水仙は、地中海沿岸や大多数はイベリア半島が自生地とされる。水仙の球根は有毒なのでギリシャ語の「麻酔」の意から名付けられたとされる。厳しい冬に開花し、強い香である。

 今宵は、「水仙」の作品を紹介しよう。

■1句目

  水仙が水仙をうつあらしかな  矢島渚男
(すいせんが すいせんをうつ あらしかな) やじま・なぎさお

 例えば、序文で紹介したような広大な水仙公園に佇っている矢島渚男さんの姿が見えてくるような作品である。水仙の花たちは、荒く激しく吹く風の中で大きく揺れて、花と花がぶつかり合っている。
 
 水仙は、30センチほどの茎の先に花を付けていて、どの水仙も同じような高さである。そこへ大風が吹き荒れると、花と花がぶつかり合うことになる。
 
 可憐な花だが、可憐な花であるからこそ、大揺れに揺れてぶつかり合っている姿というのは、もの悲しさの漂う、哀れさを催す景のようでもあろうか。

■2句目

  水仙や束ねし花のそむきあひ  中村汀女 
 (すいせんや たばねしはなの そむきあい) なかむら・ていじょ

 中村汀女さんの作品は、水仙の花と茎の付き方であろう。水仙の花は、こちら向きとあちら向きに茎に付いている。例えば花を花瓶に活けようとしても、花束にしようとしても、同じ方向に花を向けることは難しい。
 
 「そむきあひ」とは、漢字にすれば「背き合ひ」であり、向かい合うことの反対で、互いに反対方向を向いてしまうことである。そのようになるしかならないのが水仙と茎の宿命と言える形なのかもしれない。

■3句目

  水仙や寒き都のこゝかしこ  与謝蕪村 
 (すいせんや さむきみやこの ここかしこ) よさ・ぶそん

 水仙は、地中海から中近東を経由してシルクロードを渡り、中国では水の仙人と呼ばれ、日本には室町時代に中国から渡来したと言われている。
 江戸時代中期、大阪に生まれ江戸で活躍した文人画家与謝蕪村は、江戸の町を歩いていると、あちらこちらに咲いている水仙を見かけた。正月明けの寒中に咲き出す水仙は、まさに「寒き都のこゝかしこ」であった。
  
 次の英詩は、イギリスのウィリアム・ワーズワースの詩「水仙」(The Daffodils)である。大学1年の時の授業で習った初めての詩であった。教授の名前も今はおぼろだが、まるでワーズワースの詩の、金色に輝く水仙の咲く湖へ中に連れていってくれるかのように、この詩を、風に揺れている水仙のように、身体を揺らしながら暗唱してくれた。

 The Daffodil  岩波文庫『イギリス名詩選』(平井正穂編)
 
  I wandered lonely as a cloud
  That floats on high o’er vales and hills,
  When all at once I saw a crowd,
  A host, of golden daffodils;
  Beside the lake, beneath the trees,
  Fluttering and dancing in the breeze.

 今宵は3句とも、『現代俳句歳時記』角川春樹編より紹介させて頂いた。