第七百七十六夜 高浜虚子の「凍蝶」の句

 茨城県取手市に住んでいたのは、古いマンションであった。裏は崖になっていて、クヌギやスギやコナラが植えられていた。玄関から3階の通路に出ると、崖の木々には、夏になると幹に空蟬(ウツセミ)が張り付いていたり、冬には「凍蝶」が生きているのかじっと止まっていたりしている姿を見ていた。
 
 冬の蝶は「凍蝶」とも言うが、冬の蝶というよりも寒さに痛めつけられたように、動かず、死の寸前のような感じの蝶である。飛んでいても動きは鈍く、ほとんど動かずに翅も破れているような姿である。寒さの中で凍りついたかのようにじっとしている。
 
 今宵は、「凍蝶」「冬の蝶」の作品を紹介しよう。

■凍蝶

 1・凍蝶の己が魂追うて飛ぶ  高浜虚子 『五百句』 昭和8年、丸の内倶楽部俳句会。
 (いてちょうの おのがたましい おうてとぶ) たかはま・きょし

 2・凍蝶の魂ぬけしまゝ舞ひあがり  高浜虚子 星野立子編『虚子一日一句』
 (いてちょうの たまぬけしまま まいあがり) たかはま・きょし

 1句目は高浜虚子の代表句である。昭和8年1月26日、丸之内倶楽部俳句会で詠まれたもので、おそらく兼題であったと思われる。
 凍蝶は、元気に飛んでいた蝶が秋から冬の寒さの中で、よろよろと飛んでいる蝶のことだが、今にも死にそうな動きである。
 句意は、冬の蝶とは、わが身を抜け出そうとしている己の魂を、よろよろと必死に追うかのごとくに飛んでいる蝶なのですよ、という景となろうか。

 2句目は、昭和28年1月13日、虚子79歳の作である。59歳の虚子の作とは違って20年が過ぎているが、どこか年齢の差のようなものを感じられるところが愉快である。凍蝶が、魂が抜けたままのようにゆるゆる舞い上がってゆくのを、79歳となった虚子が眺めているのであるから。
 
 20年という年齢の差が虚子にあることで、「凍蝶」の捉え方も、1句目の主観的な作品から、2句目の客観的な穏やかな眼差しの作品となって伝わってくる。
 
 星野立子は『虚子一日一句』の中で、次のように書いている。
 「鎌倉草庵の庭。句謡会。一つの冬蝶が池にとまつてゐる。日が当たつてゐる。ふらふらと舞ひ上つた。それは、魂のぬけてしまつたやうなはかなさであった。が、鎌倉の冬は暖かいとしみじみ思ふ。」と。