第七百八十九夜 西山東渓の「淑気」の句

 「淑気」といえば、俳句をする者にとっては、新年になって初めての、1月の中頃に行われる初句会の雰囲気が浮かんでくる。お正月の気分があるから、皆、少しお洒落して参加している。句会へ参加する人はだれもが「今日こそは!」とわくわくした思いで投句するが、新年であれば尚更である。誰もが「今年こそは!」と気持ちをあらため、決意をもって席に着く。
 
 淑気とは、正月に感じられる荘重な、めでたい気配のことであるが、初句会という場のたたずまいも、つねにない厳かさがあるためであろう。
 初句会は、昔の正岡子規の時代など初運座と言い、初句会で選句を読み上げることを初披講と言っていた。
 
 こうした何もかもが加わって、淑気に満ちた初句会になるのであった。

 今宵は、「淑気」の作品を紹介してみよう。

■1句目

  うちつれて鶴歩みくる淑気かな  西山東渓 
 (うちつれて つるあゆみくる しゅっきかな) にしやま・とうけい

 北海道の釧路には、鶴居村と釧路市丹頂鶴自然公園と阿寒国際鶴センターという、丹頂鶴を保護し情報発信する、湿原の公園がある。
 西山東渓氏は、旭川俳壇の草分的存在の1人で、俳句会「旭川ゆく春会」を発足した人である。鶴を見に出かけたのは吟行句会であったのであろう。
 
 丹頂鶴はツル科の大型鳥。日本に渡って来るのは10月頃で、冬の間は、鶴居村と釧路市丹頂鶴自然公園と阿寒国際鶴センターなど、特定の保護された場所に棲息する。

 広々とした湿原の公園内を、丹頂鶴が何羽か連れ立って歩いてくる。頸が長く、嘴が長く、頭の天辺の1部が赤く、脚は細くて長い。こうした姿かたちの鶴たちが、作者の西山東渓氏の方へと歩み寄ってくるではないか、という句意となろうか。
 
 北海道の冬の寒さの広い自然公園の中を歩いてくる丹頂鶴に、美しいということを超えて、淑気という厳かな、めでたさのある気配を感じたのであった。

 西山東渓は、明治32年旭川の生まれ。藤田旭山とともに「旭川ゆく春会」を発足させた、旭川俳壇の草分的存在の1人である。句集に『年輪』『渓音』がある。神居古潭石の歌碑は旭川屯田会によって建立され、碑には「大雪山の水に屯田稔る秋」と刻されている。

■2句目

  衿替へて八十の母淑気満つ  山田みづえ
 (えりかえて はちじゅうのはは しゅっきみつ) やまだ・みずえ

 山田みづえは、昭和元年(1926)-平成25年(2013)宮城県仙台市生まれ。父は国語学者・山田孝雄。29歳のとき2児を婚家に残して離婚。昭和32年、石田波郷の「鶴」入会、波郷の最晩年の弟子となる。〈流星を見しより私だけの部屋〉を含む30句により「風切努力賞」を受賞。波郷門に入って13年目に師の逝去。昭和50年に句集『木語』刊行、翌年、俳人協会賞受賞。昭和54年に俳誌「木語」を創刊主宰。
 
 プロフィールに見るように、山田みづえ氏は国語学者を父に持つ。母は学者の妻であった。おそらく普段からきりっとした着こなしであったと思われるが、「衿替へて」の措辞から、正式な場所へ出席するために、母は襦袢の半衿を替えたと、いうことであろう。
 衿を替えて黒留袖を着た母は、娘のみづえ氏に、「どお?」という表情をしてみせた。堂々とした80歳の母の礼装は、淑気というめでたさも厳かさもあり、堂々としていた。

 今宵は、2句ともに『新歳時記』平井照敏編から紹介させて頂いた。