第七百九十六夜 正木浩一の「嚔」の句 1 

   間              高浜虚子
  
 「間」といふ事は音楽で大切な事である。「間のいゝ謡」「間の悪い謡」といふ事は能役者の間で富に言はれてゐる。先年亡くなつた長唄の稀音楽浄観氏も、
 「間が一番ですよ、間といふ事が本当に分かつてをれば大したものですよ。」
 と言つてゐた。
 俳句にも亦「間」といふものがある。厳密に言へば、俳句も一つの「うた」である。歌ふものである。活字をべつたり並べただけのものではない。仮令口には出さなくても心の中では朗詠するのである。その朗詠する時には自ら「間」がある。その「間」によつて滑らかな十七音となつて諷詠される。芭蕉以来今日まで人口に膾炙する句は多くは間のいゝ句である。
 この頃は十七字の格調が乱れて、声調の美を見る事のできぬものが多い。「間」のいゝ俳句といふものが忘れられてゐる。これは俳句は活字を並べたものであつて、朗詠すべき「うた」であることを忘れてゐる為である。
 「間に合はん」「間尺に合はん」といふ言葉が何気なく俗間に使はれてをる。これがうたの世界、詩の世界では極めて重大な言葉として存在してゐる。 
                 (『虚子俳話』(32・1・13)より)

 今宵は、「嚔(くさめ)」の句を紹介してみよう。

  嚔して失礼鴨をおどろかす  正木浩一 『正木浩一句集』
 (くさめしてしつれい かもをおどろかす) まさき・こういち

 正木浩一は、「千夜千句」第四百三十一夜で既に紹介している。正木浩一さんが癌になって僅か1年で50歳の命を全うされたことは、俳句雑誌に書かれた妹正木ゆう子さんの記事で知った。病院で看病の奥様がベッドで添寝をなさっていたことも、最期まで、俳句を詠みつづけていらしたことも、正木ゆう子さんの筆は、兄の死に至るまでの姿を、きっちり書き留めていた。
 
 作品を、まとめて読んだことはないが、正木ゆう子さんの文章からは氏の優しさが伝わってきていた。
 
 掲句は公園の池か沼であろう。作者は、くしゃみが出てしまった。男性の嚔は、かなり大きな音をたてるので、鴨たちを驚かせてしまったかもしれない。水に飛び込んで逃げてしまったかもしれない。
 正木浩一は、「あっ!、失礼!」と、丁寧に無礼を詫びている。「失礼」の言葉が素敵だ。人に対してだけでなく、生きとし生けるものすべてに対して、平等な心をもっているところが、何ともいえぬ優しさが伝わってきて素敵だ。

 正木浩一(まさき・こういち)は、昭和17年(1942)-平成4年(1992)、中国青島(チンタオ)生まれ。昭和47年、能村登四郎に師事、「沖」に入会。翌年には「沖」新人賞受賞。「沖」同人。平成元年、第1句集『槇』を上梓。同3年、発病、1年間の闘病生活の中から珠玉の作品を生んだ。没後、妹正木ゆう子編の遺句集『正木浩一句集』を刊行。
 
 今日は、娘と二人でつくば市の洞峰公園の洞峰沼にいる鴨たちを眺めてきた。正午の陽光は沼面を照らし、鴨が動くたびに、水脈は光をはね返しながら白く輝いていた。沼の辺りには、多くの鴨たちは日向ぼっこをしているように、太陽にま向かうように一列に並んでいた。
 「こんにちは、鴨さん!」と、声をかけながら通りかかると、こちらを振り向いて、水に飛び込んでしまう鴨もいるが、公園を訪れる人に慣れているのだろう、平然として動かない鴨たちの方が多かった。