第七百九十七夜 小川双々子の「嚔(くさめ)」の句 2

  自信を持たう      高浜虚子 

 甲の人は甲の事をいゝと考へる。乙の人は乙の事をいゝと考へる。間に立つてゐる自信のない人は両方の説に迷はされる。あちらこちらとうろうろする。
 甲乙各々いいところもあれば悪いところもある。たゞ出発点が違つてをる。
 出発点をよく考へて見よう。
 一般文芸といふ立場からいつたならば、俳句にも種々の要求があるであらう。それはもつともである。たゞ、ある文芸、季題、十七文字といふ制限を受けた文芸、と考へると自から観点が違つてくる。
 どこまでも限られた文芸として俳句を見よう。同時に特異な文芸であることに誇りを持たう。
 自信を欠くかに見える人々を惜しむ。
 自信を持たう。〈32・12・15〉     (『虚子俳話』より)

 今宵は、もう少し「嚔(くさめ)」の句を紹介しよう。

■1句目

  美しき眼をとりもどす嚔の後  小川双々子 『新歳時記』平井照敏編
 (うつくしき めをとりもどす くさめのあと) おがわ・そうそうし

 「美しき目」というのは、少し潤んでいる目のことであろう。嚔は、鼻の粘膜が寒気や光の刺激でおこる反射運動である。突然出る大きな嚔はどこか痛快でもあり、ユーモラスでもある。この嚔の音の「くっさめ」が嚔の名の由来である。
 
 小川双々子は、嚔をした後や咳込んだ後に、涙で潤んだようになっている目がきらきら輝いている美しい目であることに気づいた。だが嚔の後に「美しき目をとりもどす」と、客観的な描写をしたことは、双々子の発見かもしれない。
 
 小川双々子は、大正11(1922)年生まれ、岐阜県出身。昭和16(1941)年に「馬酔木」に入門。加藤かけい、山口誓子などに師事し、第4回「天狼」賞受賞、「天狼」同人。昭和33(1958年「河口」を発行、昭和38(1963)年「地表」を創刊、主宰になる。平成17(2005)年に現代俳句協会の第5回「現代俳句大賞」を受賞。

■2句目

  くさめして後やはらかき赤児の息  宮下白泉 『新歳時記』平井照敏編
 (くさめしてのち やわらかき あかごのいき) みやした・はくせん

 赤ん坊の「くさめ」の、「クシュ!」という小さく短い音は、50年前のわが児たちの立てる音であった。くさめを一つすると赤児は、やわらかな息を立てて、なにごともなかったように、すやすやと寝ている。
 「やはらかき赤児の息」が、まさに赤ん坊の息であり寝息である。

 宮下白泉は、松林朝蒼主宰の俳誌「夏爐(かろ)」の作家。夏爐叢書から『暮雪の熊―句集』を出している。

■3句目

  つゞけざまに嚔して威儀くづれけり  高浜虚子 『五百句』
 (つづけざまにくさめして いぎくずれけり) たかはま・きょし

 嚔は、くしゃみ、くっさめ、くさめ、とも言い、どれも嚔の擬音が名詞になったもの。古語では「はなひり」「洟放る(はなひる)」とも言う。「はっくしょん」の続けざまというのは、見ていても聞いていても、どこかユーモラスであり、重々しさに欠けるのではないだろうか。
 
 掲句は、昭和8年1月21日、本田あふひ邸で開催された句会「家庭俳句会」での作品である。
 厳しい雰囲気であらねばならない「ホトトギス」主宰の虚子が、女性の多い句会の最中に「はくしょん」の連発をしてしまって、どうも作法に反したようですね、となろうか。