第七百九十九夜 野見山朱鳥の「霜柱」の句

   霜柱                    野口雨情

 ザック ザック      踏んだ 踏んだ
 踏んだ          ザック
 踏んだ          ザック
 霜柱           霜柱
 
 雀に           雀も
 踏ませて         踏み踏み
 遊ばせよう        遊んでる
 
 今宵は、「霜柱」の作品を紹介しよう。
 
■1句目                 

  霜柱歓喜のごとく倒れゆく  野見山朱鳥
 (しもばしら かんきのごとく たおれゆく) のみやま・あすか

 句意はこうであろう。このところの寒気と昨夜から朝方にかけての強い寒気で、霜柱は丈高く10センチ以上に育ち、見事な氷の結晶が連なっている。やがて太陽が上り、暖かくなれば徐々に霜柱は溶けはじめる。
 「歓喜のごとく倒れゆく」からは、霜柱の丈の高さも、霜柱の立っている広がりも、想像できる。その霜柱が一斉に溶けはじめたのだ。ドドド-っと、崩れる音が響いているような錯覚を覚えた。氷の音なので鋭い響きであった。朱鳥は、霜柱が倒れる音を「歓喜」と捉えた。
 朱鳥の時代にはなかったが、現代音楽のロックでは、ありそうな音感かもしれない。

 子どもの頃も、今年の11月には77歳の喜寿を迎えようとしている年齢の今も、私は、霜柱が立っている道を歩くと、すぐに踏みたくなる。氷の割れる音の上を、リズムをとって歩きたくなる。
 
 だがそうはいかない! 1つは私が杖をついている身だから。そして何と・・今年はまだ霜柱の立っている土を見たことがないからなのだ。
 毎朝、毎晩、黒ラブ2代目のノエルと畑の道をぐるっとひと回り散歩していると、さすがに、新年の引き締まった寒気の道に、毎年あるはずの霜柱が立っていない不思議さを感じた。例年の冬と全く違っているのだ。
 
 夫に話すと、「あたりまえだろう! 霜が降らないというのは、土に水分がないからに決まっているさ。こんなに雨も雪も降らない、美しい青空と、ぴかぴかの冬日のつづく1月というのは、滅多にないことなんだから。」と、返ってきた。

■2句目

  むらさきは月の匂ひの霜ばしら  千代田葛彦
 (むらさきは つきのにおいの しもばしら) ちよだ・くずひこ

 1句目は、野見山朱鳥が「霜柱」に感じたものは音であったが、2句目の千代田葛彦が「霜柱」に感じたものは、色と匂いであった。
 
 「むらさきは」で切れが入り、葛彦氏は、次の「月の匂ひの霜ばしら」という月の描写によって、「むらさき」であるという色彩を感じているのだ。さらに、「霜ばしら」は「月の匂ひ」を感じさせるものだと捉えているのだ。
 この「霜ばしら」は、夜中の刻々とした時の流れのなかで地中の水分が立ち上がって生まれたもので、生まれたばかりの「霜ばしら」であろう。月夜に生まれた「霜ばしら」は、きっと月の匂いがするのだろう。
 
 月の匂いをもつ霜ばしらは、月の光を浴びながら育つ「霜ばしら」であり、色にすれば「むらさき」であるに相違いない、と千代田葛彦は確信したのであろう。
 うつくしい女人を思わせる「霜ばしら」であった。

 今宵は、蝸牛社の『蝸牛 新季寄せ』より、2句とも紹介させていただいた。