第八百一夜 岡部六弥太の「樹氷」の句

 長野県の諏訪湖畔にある「北澤美術館」は、青山学院高等部時代のクラスメイトの北澤さんのお父上であるキッツ創業者の北澤利夫氏が、昭和58年に創設した美術館である。開館は大学卒業後であったが、お手紙とともにチケットを何枚も同封してくださった。その後も大きな催物の時などいつもご案内をくださった。
 車のエンジン音を聞きながらのドライブは、何よりの仕事の息抜きであった私は、ある時は夫と、ある時は娘と一緒にエミール・ガレやドーム兄弟のアール・ヌーヴォーのガラス器に逢いにでかけた。
 
 ある秋、北軽井沢へ出かけたときのことである。朝の日差しを浴びて雑木林の紅葉も、落葉松の黄葉も透明にかがやいている。降り立った私は、すっぽりとガレの器の中に入ってしまったように感じた。
 数年後、私の句集のタイトルを『ガレの壺』とした。
 
 諏訪湖畔に行く途中の山中で、いつだったか、霧氷に出合っていたことを思い出した・・。霧氷も樹氷も、水滴が凍り、いちめんに白い花が咲いたように見える気象現象である。
 そうだ、今宵は、「樹氷」の作品を紹介してみよう。

■樹氷

  樹氷林三日月紐の如く飛び  岡部六弥太 『新歳時記』平井照敏編
 (じゅひょうりん みかづきひもの ごとくとび) おかべ・ろくやた

 夜の樹氷林の中の景である。三日月の晩のことだ。樹氷林の中を歩いていると、樹氷と樹氷の間から見える三日月が、紐で繋がっているように感じられた。
 「樹氷林」と「三日月」の形からの発想の作品で、動かない木々の間から、三日月の細さが紐のように繋がっているように見え、しかも飛んでいるように見えたという、句意になろうか。

 九州で見る霧氷林の美しさは、大分県の由布岳や長崎県の雲仙などが有名である。私が蔵王の樹氷の話を自慢気にすると、すぐさま、夫は故郷の長崎県雲仙の霧氷の美しさで返してくる。

 作者の岡部六弥太は、大正15年5月福岡県生まれ。初心を河野静雲に学び、高浜虚子、野見山朱鳥、福田蓼汀に師事。福岡市で俳句結社「円」を主宰。

 私が、樹氷を初めて見たのが、大学1年の、アドグルでのスキーであった。青山学院大学では、1年生からアドバイザーグループに所属することが義務づけられている。教授がアドバイザーで、略して「アドグル」と呼んでいた。どの教授を選んでも自由だが、私は、折角の大学生活をエンジョイしたくて、スキーによく行くグループだと聞いていた体育教授の森アドグルに参加した。
 スキー場は蔵王と決まっていたと思う。大きなスキー場で、リフトを乗り継いで山頂から樹氷林の中を下まで一気に滑り降りるのは気持ちよい。先輩にピタッとついて、必死に追いかけた。高校時代から、スキーはしていたので、上手ではないけれど、ともかく自己流で滑降はできていた。
 
 主な活動は冬スキーと春スキーであったが、秋には旅行をした。印象的だったのは、金沢から福井の二泊旅行であった。福井の三国へ行ったことは、俳句をするようになり、高浜虚子の弟子の深見けん二の「花鳥来」に入会し、俳誌に原稿を書くようになって役に立った。
 三国は、虚子の小説『虹』の舞台となったところだ。当時は旅を楽しんだだけだが、点があり線となる場所に立ったことがあることだけでも、ふっと蘇ると、数行の描写の背景となる。
 
 岡部六弥太の作品は、樹氷林から、三日月が、紐のように飛んで出てきたことで、どこか不思議な世界となったようだ。