第八百三夜 秋元不死男の「枯木」の句

 大学時代の森教授のアドグルの旅行で思い出すことがある。冬と春はいつも蔵王のスキー場に行っていた。リフトは当時はスキー場に2本だったと思う。リフトは1人づつの席でゆっくり昇っていった記憶がある。長い列となってリフトに乗るまで、待っている時間の長かったこと・・前後にいるのはグループの仲間たちだ。
 待っている間に、雪合戦ほどではないが、なにしろ19歳と18歳の女の子と男の子たちだ。子犬ではないが一つ時もじっとしていることはない。列のまま、じゃれあって、雪を丸めてぶつけっこがはじまった。男の子はぶつけっこしているうちに女の子を押し倒してしまった。さらに、倒れた女の子の顔に、雪礫(雪の玉)を押しつけたのだ。
 
 目も鼻も口も・・雪礫にふさがれて、もう息ができなくなった! 溺れてアップアップしてしまうのは、水でなくとも雪でもありうることだと知った。 
 女の子は19歳の私・・1学年下の男の子の顔は思い出すことができるけれど名前は・・時折、名前が浮かんでこないことがある。きらきらした目とステキな笑顔の男の子だった。もう60年も昔のことである。

 今宵は、「枯木」の作品をみてみよう。

■枯木

  獄を出て触れし枯木と聖き妻  秋元不死男 『現代俳句歳時記』
 (ごくをでて ふれしかれきと きよきつま) あきもと・ふじお

 秋元不死男といえば、新興俳句弾圧事件を思う。新興俳句運動というのは、昭和6年、水原秋桜子が、高浜虚子の唱える「花鳥諷詠」「客観写生」に反発し、反「ホトトギス」を旗印とした近代的俳句をめざした俳句運動である。新興俳句運動は、日中戦争以降、反戦色の強い俳人たちが治安維持法違反の容疑で特高警察に集団検挙され投獄され、収束した。その新興俳句運動の代表作家が、東京三とも号した秋元不死男である。
 
 上五の「獄を出て」は、治安維持法違反で投獄された時である。不死男が監獄を出ると、迎えにきてくれた妻が刑務所の門の外にいた。わが家に帰る道々に、不死男の手が触れたのは、枯木と、身を清らかに自分の帰りを待っていた妻であった。獄を出た不死男が触れて確かめたかったのは、生きた温もりのある、枯木であり妻であった。
 
 下五の「聖き妻」という言い方からは、不死男が信じている俳句の道を、妻もまた夫の不死男の道を信じてくれていたことを強く感じさせてくれる。
 
 秋元不死男は明治34(1901)- 昭和52(1977)年、神奈川県横浜市出身の俳人。前号は東京三(ひがし きょうぞう)。島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。戦後は山口誓子主宰する「天狼」の参加を経て、「氷海」を創刊・主宰した。

 この作品は、『現代俳句歳時記』より選ばせていただいた。