第八〇八夜 平間真木子の「絵踏」の句

第八〇八夜 平間真木子の「絵踏」の句 

 九州の長崎駅前の西坂公園に、日本二十六聖人殉教記念碑が建っている。最初に見たのは、大学卒業後すぐに、プロテスタントの活水学院高校で英語講師をすることになり長崎市に移り住んだ時であった。しばらくは、休みの度に、市内見物をした。日本と中国、仏教とキリスト教、古いものと新しいものが、感覚と感性を刺激し、なにやら不思議に感じていたことを思い出している。
 
 キリスト教には、大きく分けて、誰もが知っているプロテスタントとカトリックがある。ちなみに、私は、プロテスタント系の学校に高校・大学と通っていた。杉並区在住の頃には家の目の前にはプロテスタント系の幼稚園があり、日曜学校があった。
 少し離れた場所には、育英会の経営するカトリックのドン・ボスコ教会があった。ここは男子校であった。
 
 と、ふり返ってみると、キリスト教の二派について多少は知っていたように思う。作家・遠藤周作の小説『沈黙』に惹かれた時期があり、ニーチェの「神は死んだ」の言葉に惹かれた時代もあった。
 
 冒頭の、日本二十六聖人殉教記念碑は、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘である。
 近づいてみると、26人の聖人の足は、宙に浮いているとも見えるが、「穴吊り」の処刑にされた姿であろう、ダラっと垂れ下がっている。
 
 彼らは皆、「絵踏」を踏むことを拒んだ者たちであった。両手を合わせているのは、神への祈りの形である。
 
 今宵は、「絵踏」の作品を紹介しよう。    
 
■1句目

  峡深く絵踏のがれて来しならむ  平間真木子 『蝸牛 新季寄せ』
 (かいふかく・えぶみのがれて きしならむ)

 句意はこうである。イエス・キリストのお顔を描いた絵を、自らの足で踏むなどはしたくないと、山あいの深き谷間へと、やっとの思いで逃れてきた人なのであろう。

 この作品から、長崎半島の先端の野母崎の途中の、そこからは遥かに五島列島が見渡せる、隠れキリシタンのいたという小さな赤い教会を思い出した。
 4年間暮していた長崎で、教員仲間の友人の案内で訪れたことがあった。私たちは車で行くことができる時代に生まれたが、まさに「峡深く」という場所であった。
 
 平間真木子さんは、 平成元(2000)年、蝸牛新社から出版した『蝸牛俳句文庫 岸風三楼』は、富安風生門下の岸風三楼師系の山崎ひさを氏と共著者として参加してくださった。

■2句目

  ぜすきりすと踏まれ踏まれて失せたまへり  水原秋桜子 『水原秋桜子全句集』
 (ぜすきりすと ふまれふまれて うせたまえり) みずはら・しゅうおうし

 2年前の夏、娘とともに長崎旅行をした。原爆資料館は、私が長崎に住んでいた頃の長崎国際文化会館は建て替えられ、入口から進んでゆくと、原爆がなぜ落とされたのか、兵器開発の歴史、広島と長崎の原子爆弾の形や性能など、ストーリー性のある展示がされていた。
 踏絵も展示されていた。どれだけの人が踏んだのであろう。踏絵は擦れてキリストの顔はぼんやりしていた。
 
 「ぜすきりすと」は、イエス・キリスト。五百年ほど昔の豊臣秀吉の頃の長崎の民の、キリシタンであるか否かを見定める手段として用いたのが、イエス・キリストのお顔が描かれた踏絵であった。
 遠藤周作の『沈黙』には、キリシタンであっても平然と踏んだ人もいたと書かれている。作中の、イタリアから派遣されて日本へきた神父ロドリゴは、日本で、キリスト教棄教の意思を確認するための、踏絵の前に立たされた。迷ったが、踏むことを受け入れた。多くの人が踏んだイエスの顔の銅板を踏もうとすると、ロドリゴの足に激しい痛みが襲った。

 そのとき、踏絵のなかのイエスがロドリゴに語りかけた。
 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と、語りかける。
 
 掲句は、描かれたイエス・キリストのお顔は、多くの民によって踏まれ踏まれて、目も鼻も口も、すっかり分からなくなってしまっていますよ、という句意となろうか。