第八百十三夜 深見けん二の「薄氷」の句

 今日のオリンピックは、テレビで女子のスケートを観た。「パシュート」という競技は、正直のところ今回の北京オリンピックで初めて知った種目であるが、興味を持って予選から決勝と観た。横で夫が説明をしてくれるのが少々煩さかったが、お陰さまである・・試合の進行具合がやっと分かるようになった。
 
 高木美帆は、13日の500米スピードスケートで銀メダル、本日16日の3人のチームパシュート決勝で銀メダルを獲得した。チームは美帆と姉の菜那と佐藤綾乃の3人。決勝の相手はカナダ。カナダよりも速く走っていたが、3人の最後尾を走っていた美帆の姉の菜那が転倒してしまった。
 
 菜那は自分の転倒によって金メダルを逃したことで、泣きながらインタビューに答えていた。このときの妹の美帆の、何気なく姉に手を回して寄り添う姿が凄かった。美帆だって悔しかったことと思う。4年に一度のオリンピックを目指して、チームはどれほど頑張ってきたか・・。でも悔しさを乗り越えた表情はじつに淡々としていて、インタビューに向かう美帆は爽やかであった。
 
 今宵は、深見けん二の「薄氷」の句を紹介しよう。

■1句目

  薄氷の吹かれて端の重なれる  深見けん二 『余光』
 (うすらいの ふかれてはしの かさなれる) ふかみ・けんじ

 この作品は、発表後に俳句雑誌でも評判となった代表句である。深見けん二著『折にふれて』にも書かれているように、石神井公園での作である。
 筆者の私は、石神井公園から徒歩20分ほどの所に住んでいた。私の父も俳句を趣味としていたことから、早朝から2人でよく石神井公園へ行った。石神井公園の奥の三宝寺池の一番奥は、こんもりとした雑木林があって、早春の早朝は、薄氷というよりも分厚そうな氷が張っていた。薄氷には松葉などの葉屑やら、子どもが落とした赤いボールなどが、氷の中でうごかずに浮いていたこともある。
 
 薄氷は、三宝寺池の夜風が吹かれて、薄氷が池の奥へと寄っていた。さらに夜風に吹かれて薄氷が薄氷に寄り、こうして薄氷が薄氷と重なった有様を、けん二先生はご覧になったのであった。
 先生は、「端の重なれる」と「端」という言葉で表した。先生は「端」という言葉がどうして浮かんだのか、「端」の言葉を得たことに驚いた。俳句を詠もうとしても上手く言葉が見つからないことばかりであるが、「端の重なれる」と「端」を入れたことで、風に吹かれれば動き、割れやすい「薄氷」の姿となったのである。
 
 先生は、『折にふれて』の中で、こう言っている。
 
 「どうして端という言葉が出たのか。これも授かりものとしか思えなかった。そしてこの頃から授かるのは、言葉だと思うようになった。そしてこの頃から授かるのは、言葉だと思うようになった。」と。

■2句目

  薄氷の草をよるべに漂へる  深見けん二 『蝶に会ふ』
 (うすらいの・くさをよるべに ただよえる) ふかみ・けんじ

 「よるべ」は「寄る辺」で、たよりとして身を寄せるところ。薄氷は、水草一本でも、くっついて身を寄せるものが必要なのであろう。草をよるべとした薄氷は、もう安心して水に漂うのであった。

■3句目

  暮るるより薄氷が消す山の翳  藤木倶子 『雁供養』
 (くるるより うすらいがけす やまのひだ) ふじき・ともこ

 中七の「薄氷が消す」が、この作品の眼目。早春の十和田湖の景だという。自註には、「夕方何かが走るように湖の表面が動き、山の翳を消してゆく。それは、湖の表面が凍ってゆく姿であった。」とある。
 なんと素晴らしい自註だろう。都会で見る薄氷は、こうした現象は真夜中から夜明けの誰も見ていない時間帯の出来事あるから。

 「千夜千句」第二百八夜で、紹介している藤木倶子さんの薄氷の作品を、もう一度ここで登場させて頂いた。