第八百十六夜 小林一茶の「冴返る」の句

 昨夜から決めてあった季語「冴返る」「凍戻る」「余寒」であるが、そのとおりの気候となった。先ずは、朝の寒さである。犬の朝一番の散歩は私が行くので、昨日とはちがう春の寒さを味わうことができた。
 
 春は寒暖をくり返しながら春らしくなってゆくが、寒さのぶり返しは、気持ちを整えるにも、体調を整えるにも、その日の服を選ぶにも考えなくてはならない。

 今宵は、「冴返る」「余寒」の作品を見てゆこう。

■1句目

  三か月はそるぞ寒さは冴え返る  小林一茶 『一茶俳句集』
 (みかづきはそるぞ さむさはさえかえる) こばやし・いっさ

 掲句は、「三か月はそるぞ」と「寒さは冴え返る」の二句一章の作品である。二句はそれぞれ何の関連のないものを一章に仕立てることによって、新しい世界を現出している。

 一句目の「三か月はそるぞ」の「そるぞ」は「反るぞ」で、かなり細い三か月であろう。
 二句目は、がらりと内容を変えて、「寒さは冴え返る」とした。「寒さは」と「冴返る」と、2つの季語を繰り返すことによって、この夜の寒さを強調したのだ。
 
 外出した帰りなど、細月がずっと付いてくる暗い道は月に追いかけられているような気がして怖さを覚えるほどだ。さらに、早春の夜はぐっと冷え込む。昼間が暖かくなってきているから、ぶり返すような寒さはひどく堪えるのだ。
 
このように、「三か月はそるぞ」と「寒さは冴え返る」という違う内容を合わせた作品が、二句一章の句である。

■2句目   

  冴返るいつも不用意なるときに  後藤比奈夫 『ホトトギス新歳時記』
 (さえかえる いつもふようい なるときに) ごとう・ひなお

 「冴返る」とは、少し暖かくなりかけたと思う間もなく、また寒さがぶり返して来ることをいう。
 
 立春を過ぎて、やっと暖かくなってきたと思っていると、ふっと、寒さがぶり返すこともあるというのが早春の気候であるが、それを、うっかり忘れてしまうことがある。そんなときに限って、急に冷え込むことがある。

 「いつも不用意なるときに」とは、そうした時のこと。早春には寒さのぶり返す「冴返る」があることに、つねに心配りをしていなければならないのに、忘れてしまうことがあるものですよ、という句意になるのであろう。

■3句目

  世を恋うて人を怖るゝ余寒かな  村上鬼城  『鬼城句集』
 (よをこうて ひとをおそるる よかんかな) むらかみ・きじょう

 鬼城と虚子との劇的な直接の出会いは、大正4年の高崎で行われた俳句大会の席上であった。〈百姓に雲雀揚りて夜明けたり〉の句が虚子選の天位に読み上げられたとき、名乗りを挙げたのは、地方の社会的地位のある人でもなく、衒気一杯の青年俳人でもなく、会場の隅に人目を避けるように小さくなって坐っていた、やや年取った村夫子然とした鬼城であった。
 
 ホトトギス誌上で、虚子は鬼城のことを、子規生存中から鬼城の俳句の上手さも写生文の上手さも知っていたが、虚子はこの日、鬼城と初対面をして、想像以上に耳の遠い身の上であることを知ったのだった。
 「この地方に俳人鬼城君のあることを諸君は忘れてはいけない。」
と、虚子が、句会後の講演で高崎の俳人たちの前で言ったこの言葉は、どんなにか鬼城を励まし、自信を与えたことであったか。
 その後の鬼城は、ホトトギス第一次黄金期の作家となり、目覚ましい活躍をするようになった。
 
 掲句の「人を怖るる余寒かな」とは、耳の遠い鬼城自身が、傷つくことを怖がる己を詠んだものである。「余寒」の季語からは、ふとした瞬間に寒の寒さが残っていることを感じさせる。
 だが上五に「世を恋うて」と詠んでおり、この句にはどこか明るさが感じられる。