第八百十七夜 鈴木鷹夫の「春耕」の句

 立春から数えて15日目ごろの昨日の2月18、19日あたりから、二十四節気のひとつの雨水となる。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になるころをいう。この日から啓蟄までの期間もいう。
 
 雨水は、歴便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記され、農耕の準備を始める目安とされる。

 今宵は、「耕」の作品を紹介しよう。
 
■1句目

  春耕の人がゆつくり女なり  鈴木鷹夫 『鈴木鷹夫句集』ふらんす堂
 (しゅんこうの ひとがゆっくり おんななり) すずき・たかお
 
 蝸牛社刊『秀句350選28 地』に、編著者の鈴木伸一氏が選んで収めた作品である。「地」のテーマは、人間の存在と大きく関わっている大地そのものであるから、作品に「地」が含まれていることだけでは済まされないものがある。あとがきには、随分と悩まれたようであったが、深い作品を選び、深い解説を書いてくださった。
 
 遠くで畑を耕している人がいる。やがて、ゆっくりと顔を上げると、こちらへ向かって歩いてきた。大地にうずくまるようにして農作業をしていたときには男とか女とか思わなかったが、その人は女人であった。
 
 「ゆつくり女なり」という発見の仕方がユニークである。男にとっても苛酷な農作業を、男と同じようにしている女である。機械化の進む前は、全て人の手で行われる農作業はどれほど大変であったか。顔を上げた瞬間の女は、男と同じような厳しい顔つきであったかも知れないが、こちらへ向かって歩きながらゆっくりと、「ゆつくり女なり」となったのであろう。

 作者の鈴木鷹夫(1928―2013)は、石田波郷の「鶴」同人、能村登四郎の「沖」同人を経て、「門」を創刊・主宰。

■2句目

  耕して柔らかに抜く土の息  丸山希よ 『現代歳時記』成星出版
 (たがやして やわらかにぬく つちのいき) まるやま・きよ

 2月に入ってから、夫は土づくりをはじめている。もう種を蒔くの? と訊くと、そうじゃないよ、土を耕して土をやわらかくしておくのさ、という。
 
 掲句の意味が、この頃になってようやく分かったように思う。耕すことによって、固まっていた土がほぐされて柔らかくなることなのであるが、それは、塞がれていた息が漏れるように息が抜かれる、ということなのであろう。

 私たちが茨城県守谷市に住むようになって、やがて16年目となる。夫は、ご近所の方の畑を借り、教わりながら、野菜づくりを楽しんでいるうちに、年々腕が上がってきている。
 最初の頃は、種を蒔くのも、間隔を開けて、数粒づつ土に入れて、その上にふわっと土をかけることはしていなかったようだ。作業を見ていたわけではないが、書き込んでいる農作業ノートは見せてもらっていた。
 
 今では、大きさがまちまちでも採れたてなので美味しい野菜をキッチンまで運んでくれている。野菜も根菜も、もうスーパーで買うことはないほどになった。
 
 丸山希よさんも、きっと野菜づくりをなさっているのだろう。耕すことは、土の息を抜いてあげることだと、土と耕しを工夫してゆく中で、知ったにちがいない。