第八百十八夜 後藤比奈夫の「白魚」の句

 今宵は、「白魚」を書くつもりで調べはじめたところ、何と、私の住む茨城県の霞ヶ浦の北浦が白魚が有名な産地であった。漁獲量のトップは青森県で、茨城県、北海道とつづく。
 明治から昭和にかけて盛んに行われた『帆びき網漁(※)』の主対象種として漁業者の暮らしを支えてきました。獲れたてのシラウオは、無色透明でキラキラと輝くことから、地元漁師は「ダイヤモンド」と呼ぶこともあるとか。
 
 かすみがうら市歴史博物館の敷地内に、平成27年に、いばらき木づかい環境整備事業により、帆引き船を保管・展示する目的で建てられ、展示施設内には2艘の市指定有形民俗文化財「旧桜井丸」「旧霞ヶ浦丸」と観光帆引き船として活躍していた「旧大米屋丸」の3艘の木造船が収納されているという。私が訪れたときは、展示施設はなかったが、外に展示された帆引き船を見た記憶がある。

 この帆引き船で帆びき網漁が行われ、大きな帆を張って、風の力で船を流しながらシラウオ漁をするという。現在では観光漁業として霞ヶ浦の風物詩にもなっている。
 
 茨城県の大きなスーパーでは、捕れたてのシラウオが並んでいる日がある。一皿買って戻ると、夫は大喜び。夕食は新鮮さによるが、生で酢醤油で食べることも、唐揚げにして食べることもある。

 シラウオの寿命は、ほぼ1年。シラウオの味は、淡白ながら甘味とほど良い苦味があり、脂肪が少なく、とてもヘルシーである。
 食べ方は、醤油や酢味噌などで食べるお刺身もよし、地元の伝統食である煮干や佃煮に加えるのもよし、また、かき揚げや卵とじやお吸い物に天ぷらにしたり、また、珍味としては塩辛などにして、さまざまな調理方法で味わうことができる。

 今宵は、「白魚」の作品を紹介しよう。

■1句目

  白魚汲みたくさんの目を汲みにけり  後藤比奈夫
(しらおくみ たくさんのめを くみにけり) ごとう・ひなお

 掲句は、捕れたばかりのシラウオを入れた大きなバケツから、柄杓で汲み上げているところだ。大きいもので体長10センチほどのシラウオは、新鮮であればあるほど透き通っていて、黒目ばかりが目立つ。
 
 「たくさんの目を汲みにけり」には、ドキッとするような斬新さがある。だが、透きとおった身を元気に蠢かせ跳ねているシラウオは、目の黒さばかりが目立っていることから、見たままの、「目を汲みにけり」という表現としたのであろう。
 
■2句目

  白魚や椀の中にも角田川  正岡子規 『寒山落木 巻二』
 (しらうおや わんのなかにも すみだがわ) まさおか・しき

 正岡子規は慶応4(1867)年から明治35(1902)年。愛媛県松山の生まれ。『寒山落木 巻二』は、明治26年刊なので、子規は病気になる前で、日本新聞社で記者をしていた。

 掲句は、その日の昼か夜、打合せの席でのご馳走かもしれない。白魚がお椀に盛られて出された。「角田川」は「隅田川」のことで、明治時代には「角田川」と表記していたという。生きたまま椀の中で蠢いているのを見て、このシラウオは角田川で泳いでいるようだなあ! と詠んだのであった。

■3句目

  明ぼのやしら魚白きこと一寸  松尾芭蕉
 (あけぼのや しらうおしろき こといっすん) まつお・ばしょう

 松尾芭蕉のこの作品の、中七下五の無駄のない、しかし情報は然と伝わってくる文字の配列の凄さを思った。
 
 「しら魚白き」は、本来は「白魚白き」であるが、それでは見た目が美しくない。まずは「白」の二つを何とかしたいと思った芭蕉は、最初の「白」を「しろ」とした。「白魚しろき」では駄目。「しら魚白き」と「魚白」という語順で入れたところが、うーむと思わせる凄さだ。語順は逆ながら、「白魚」を読み込むことが出来たのだ。
 
 芭蕉の頃には、句会では、座にいる皆が意見を言い合いながら、たとえば、『猿蓑』一巻の作品を仕上げていた。