第八百十九夜 坂本宮尾の「畑打」の句

 江戸前期の俳諧流派で、松永貞徳によって提唱された俳諧の流派である。談林(だんりん)の新風・異風に対して古風・正風ともいう。この頃には「田打」「畑打」の季語はすでに用いられてをり、貞門時代の古い季語である。
 
 「田打」とは、稲刈の後そのままにしてあった春田の土を鋤き返し、打ちくだいてはほぐすことである。以前は牛や馬に犂(すき)をひかせていたが、今では人の手では行われず、耕耘機が普及している。
 つくば山の麓では、麦畑と稲田が広がっているが、やはり、人が田打や畑打をするのではなく、耕耘機に乗った人を見かけるばかりである。
 
 今宵は、「田打」「畑打」の作品を紹介してみよう。

■1句目

  はるかなる天動説や畑を打つ  坂本宮尾 『坂本宮尾集』
 (はるかなる てんどうせつや はたをうつ) さかもと・みやお
 
 天動説という宇宙観は、今はもうはるかなものになっている。中心が太陽であるという地動説の宇宙観のもとで、太陽が登るとともに畑を耕し、日が沈めば家に帰る。今、こうしてせっせと畑を耕しているのですよ、という句意になろうか。
 
 お百姓さんの耕しの景は、一粒ではあるが、大元をぐさっと掴んだ景のように思った作品である。
 
 「天動説」とは、今から500年前の15世紀までの宇宙観で、地球が宇宙の中心に静止し、他のすべての天体が地球の周りを回っているという説。古代・中世の宇宙観で、アレキサンドリアの天文学者プトレマイオスの考えがもとになっている。
 「地動説」は、宇宙の中心が太陽であるという考えである。これを初めて大いに発展させたのがコペルニクスである。

 坂本宮尾さんは、昭和20(1945)年、大連生まれ。本名桑原文子、俳人としての名は坂本宮尾。英米演劇研究者。東洋大学名誉教授。東京女子大白塔会にて山口青邨に師事。「夏草」「天為」「藍生」同人。著書『真実の杉田久女』紀伊國屋書店、『この世は舞台』蝸牛社、他。

■2句目

  みちのくの田掻き無口は牛ゆづり  鷹羽狩行 『鷹羽狩行』春陽堂書店
 (みちのくのたがき むくちはうしゆずり) たかは・しゅぎょう

 みちのくを旅したときだ。作者の鷹羽狩行氏は、田んぼではお百姓さんが牛に牽かせて田掻きをしている光景に出合った。牛を動かすのに鞭もつかわず、牛に声もかけずに、綱で操っている。お百姓さんの無口は、これは牛ゆずりなのでしょう、という句意になろうか。

 話すことのできる人間のお百姓さんを、「無口は牛ゆづり」と詠んだところが愉快である。

■3句目

  生きかはり死にかはりして打つ田かな  村上鬼城 『定本鬼城句集』
 (いきかわり しにかわりして うつたかな) むらかみ・きじょう

 狩猟時代が過ぎて農耕時代になると、人は大地の上で、作物を育て、作物を食べ、子を育て、大地とともに生きつづけてきたのである。こうして生きることだけで、精一杯であるから、同じ大地を守りつづけて、この大地の土に還ってゆくのであった。
 これが、「生きかはり死にかはりして」なのであろう。
 
 村上鬼城は、慶応元(1865)年に江戸小石川の鳥取藩邸に生まれる。耳疾のために軍人志望を断念して、高崎区裁判所の司法代書人となる。正岡子規と書簡を交わし、その後、高浜虚子との出合いで、ホトトギスに俳句や写生文を投句するようになり、ホトトギス雑詠欄で活躍するようになる。