第八百二十夜 高浜虚子の「ものの芽」の句

 天皇誕生日の2月23日は休日。よく晴れて風も少なかったので、犬のノエルを連れて娘と一緒に守谷市の四季の里公園をぶらり歩いてきた。緑らしきものは、葉の出ていない柳の細枝のうすみどりだけであった。
 
 庭の雪柳はもう小さな葉が出ていて、暖かい日に、ぽつんと小花が咲いた。こうした小花の蕾も、「ものの芽」と言っていいのかもしれない。雨も雪も降らなかった2月は、霜柱も立たなかった。早朝の散歩で土が盛り上がっているので踏んでみたが、霜柱が立っている時の「シャリッ」という小気味よい音はしなかった。

 だが、「ものの芽」も「草の芽」も、きっともうすぐだ。天気予報によれば、金曜日か土曜日頃には暖かくなるという。

 今宵は、虚子の「ものの芽」の作品をみてみよう。

■1句目

  ものの芽のあらはれ出でし大事かな  高浜虚子 『五百句』
 (もののめの あらわれいでし だいじかな) たかはま・きょし

 早春のこと、木々の細枝にものの芽が出てきましたよ、これは重大なことで、大事件と言ってもいいほどなのですよ、となろうか。

 掲句は昭和2年の作である。昭和3年、虚子は大阪毎日新聞社の「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」と題した講演で、「俳句は花鳥諷詠である」と提唱し、「季題(季題=自然)を詠む特殊な文芸」という俳句観を示している。
 そして、花鳥諷詠詩を次のように言ったのであった。
 
 「苦しい極み、貧しい極み、生活を否定しようとするような場合、世のなかに絶望したような場合、深刻な悲痛な情緒を訴えようとする場合にでも、天然現象(花鳥)に心を留めると忽ちゆとりが出来る。少なくとも諷詠しようとする人のこころにはゆとりが出来る」と。

 「現れ出でし大事かな」の「(現れ)あらわれ」とは、隠れていたものが姿をあらわしたということで、「これはこれは、ようこそお出ましになりましたね!」という意味になろうか。少々ものものしくてオーバーではあるが、まさに春のよろこびの表現である。
 
 さらに「現れ出でし大事かな」は、瞬時に口から出た言葉であり、自然と共にゆとりある人生から生まれた言葉である。こう詠んだのが花鳥諷詠詩であった。
 
■2句目

  土塊を一つ動かし物芽出づ  高浜虚子 『六百句』
 (つちくれを ひとつうごかし ものめいず) たかはま・きょし
 
 「物芽」は「ものの芽」と同じと考えてよいと思う。畑などの、耕され、ほぐされた、やわらかな土から物芽がのぞいている。物芽が土塊の一つを動かしたのであろう。ひと塊の土を持ち上げ、動かし、地上に出てくるまで物芽は、春が遅々とおとずれるように、少しずつ少しずつ土塊を動かしていたにちがいない。
 
 昭和19年3月13日、お茶の水の日本出版文化倶楽部で行われた笹鳴会での作品である。おそらく「物芽」「ものの芽」での兼題が出されていたのであろう。