第八百二十五夜 水原秋桜子の「雛」の句

 昨日は、3月3日の「雛祭」であった。しばらく箱から出して飾ってあげていないなあ・・! 室内で飼っているラブラドール・リトリーバーはもう7歳になっているのだが、相変わらずのやんちゃ犬で、なんにでも興味津々で鼻でつついたりする。穏やかな老犬になる日がくるのを待つことにしよう。
 
 夕御飯にちらし寿司をこしらえて、うん、なんとなく3月3日の雛祭らしい膳となった。もう、ほんのちょっとの華やぎで充分である。子どもたちが中年になり、私たちが後期高齢者の老年になると、孫のいないわが家の日々は静かに流れてゆく。

 今宵は、「雛祭」の作品を紹介しながら愉しんでみよう。

■1句目

  天平のをとめぞ立てる雛かな  水原秋桜子 『水原秋桜子全句集』
 (てんぴょうの おとめぞたてる ひいなかな) みずはら・しゅうおうし

 掲句の雛は、男雛女雛の立雛であろう。男雛は、両手を広げているのもあり、手には笏(しゃく)を持っている。女雛は、桧扇(ひおうぎ)を持っている。秋桜子の見ている女雛は、楚々とした天平時代の貴族の娘のすがたをしていた。
 
 雛人形のお顔は、伝統の京雛でも現代の時代に合わせて、少しずつモダンになっているように感じる。娘が生まれたとき両親は、娘のふくよかな顔にそっくりな真多呂人形の男雛女雛を、アパートの箪笥の上に飾れるように揃えてくれた。もう50年以上も前のことである。
 
 大正時代から昭和時代に活躍した水原秋桜子の家は代々産婦人科の医者でもあった。

■2句目

  明るくてまだ冷たくて流し雛  森 澄雄 『花眼』
 (あかるくて まだつめたくて ながしびな) もり・すみお

 茨城県南の取手市に住んでいたころ、すぐ近くを利根川があり、広い河川敷があった。その広場では、1月のどんど焼と凧揚げ大会、3月の流し雛、夏の花火大会など、折々に催物が行われていた。
 
 正月明けのどんど焼きには、正月飾りを手に、取手市内はもちろん、近隣から大勢集まってくるから、どんど焼きの大きな焚火は、夕暮れから暗闇になるまでツヅケられた。
 
 3月の流し雛は一度だけ見に行った。河に流すのは、折り紙で作った雛だけです、という決まりで、河川敷には折り紙が置かれていて、参加者は折り紙で雛を作り、河に流していた。それでも、河を汚したくないのであろう。少し先に流れが曲がるところがあるが、そのあたりで、流した雛を回収する小舟があった。
 
 句意は、こうであろうか。3月3日、人形を流すことは、流す人の身の穢れを、人に代わって人形が水に流すというお祓いの意が籠められている。3月3日は、春になったとはいえまだまだ寒く、水は冷たい。森澄雄は、自分の身代わりとなって河に流れてくれるお祓い人形である流し雛に、「まだ冷たくて、すまないね!」という気持ちで、川面にそっと置いたのだ。