私たちの師の深見けん二先生の誕生日は、3月5日の啓蟄の日である。2021年9月15日に亡くなられ、あっという間に半年が過ぎてしまった。2020年の誕生日には、「啓蟄を明日にしてわが誕生日」と詠み、2021年の3月5日の誕生日には、「啓蟄やその日白寿の誕生日」と詠んでいらした。白寿は99歳である。
誰もが先生の長寿を祝い、あと少しの百寿までと願っていた。私も一句、年頭に、あと少しだったという悔しさと無念の思いを込めて、「天上の師は百寿なり梅ほつほつ」と詠んだ。
ここ数日、同じことをくり返し綴っているが、それほどに私たち皆、残念な気持ちでいるのだと思う。
今宵は、春の「啓蟄」「蟻穴を出づ」の作品を紹介させて頂こう。
■1句目
蟻出づる穴にしやがみて巨人なる 森 玲子 『豹の時代』
(ありいずる あなにしゃがみて きょじんなる) もり・れいこ
穴から出てくる蟻を見つけると、次から次に出てくることが面白くて、作者の森玲子さんは、しゃがみこんで眺めていたことがあるのだろう。出口にいる大きな人間にたじろいだのか、動きを一瞬止める蟻がいた。
その蟻の様子に気づいたとき、しゃがんでいる自分が、蟻からみれば、まさに巨人であるにちがいないと想像した。蟻と巨人、との対比を詠んだだけであるが、ストレートな捉え方がいいなと思う。
■2句目
穴を出し一番槍の蟻とこそ 深見けん二 『もみの木』
(あなをでし いちばんやりの ありとこそ) ふかみ・けんじ
季語は「啓蟄」の傍題の「蟻穴を出づ」である。土中にじっと冬眠をしていた蟻、二十四節気のひとつで、ちょうど3月5日ころの、虫類の穴を出るころにあたっている。「一番槍」とは、戦場では最初に敵陣に槍を突き入れる人のことで、この作品では、蟻のことである。
句意はこうであろうか。穴から一番最初に出てきた蟻に出合った作者は、蟻を見て、この蟻こそが、勇敢にも敵陣へ槍を突きつけるといわれる「一番槍の蟻」にちがいない、と考えた。
蟻の長い列に出合うことがあるが、皆揃ってどこへ行くのだろう、まさか闘いにゆくのではないと思うが。
人間の私たちは、蟻の行列の邪魔をしないように、蟻が通り過ぎるまで立ち止まっていた。子どものころは、仲よし同士、こうしたことが遊びであったし、時間がたっぷりあった。
大人になってからの蟻との付き合いは、俳句で吟行に出かけるようになって、何でもじっと見る訓練をしてからである。
■3句目
穴出でて帰らぬ蟻もありしとふ 能村研三 『能村研三集』
(あないでて かえらぬありも ありしという) のむら・けんぞう
この作品に出合って、蟻は穴を出て、列を組んで出かけるが、いったいどこへいくのだろう、と思っていた。地下の蟻の穴は大きな蟻の巣があって、蟻たちはせっせと食料調達に出かけるのが日々の仕事だったのだ。
句意は、「帰らぬ蟻もありしといふ」とは、穴を出た蟻のなかには穴に戻ってこない蟻もいるのだと言われていますよ、となろうか。
小さな蟻が、途中で何かに踏まれてしまうことがあるかもしれない。死んでしまうこともあるかもしれない。人間世界と同じで、事故に遭うことだってあるかもしれないのだ。