第八百二十九夜 高安永柏さんの「流氷」の句

 このところ、ウクライナとロシアとが戦闘状態となり、テレビニュースにプーチン大統領が毎日登場している。なんだか、以前に見たときよりも、悪者になったような顔つきをしている・・!
 ソ連時代を含め、大統領職は2回目である。来日した折の、柔道着姿のプーチン、安倍晋三首相と並んだプーチンを思い出している。この時に、北方領土返還問題が一定の解決をみた。樺太は全てロシア領土に、日本領土は国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島、千島列島と決まったのであった。
 
 テレビニュースを観ては、夫の世界地図帳を開いて確認している。なにしろ大学までの授業で覚えたことは、片端から忘れているのだから。

 今宵はもう一夜、「流氷」の作品に触れてみることにしよう。20年ほど前の11月、北海道の知床半島へ旅行した。日本領土の国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島、千島列島は知床半島より北側に位置している。
 細かいことはすっかり忘れてしまっているが、羽田空港から新千歳空港、そこからは、北海道の東の突端である知床半島の知床第一ホテルまで、バスの直行便で向かった。夕方の暗さは東から暗くなってゆく。東へ向かうバスはだんだん暗くなり、後ろをふり返ると、これまで走ってきた西側の広い平野はいつまでも明るかったことが不思議な記憶として残っている。
 
 流氷の話は、バスのガイドさんからだったか、ホテルのフロントについてからだったか、「知床では、もうしばらくすると流氷を見ることができるのですよ。」と、聞かされたことが夢の世界のようで、印象に残っている。
 テレビの映像で観たことはあった。流氷とは、巨大な氷塊である。海面に見えるよりも、海面下の氷塊はぐんと巨大であるという。

  抑留の父待つ子らに流氷来  高安永柏 『ホトトギス新歳時記』
 (よくりゅうの ちちまつこらに りゅうひょうく) たかやす・えいはく

 北海道の樺太や東海岸に住んでいる一家の父親が、第二次世界大戦の末期、ソ連兵に捕まり、捕虜となり、シベリアへ抑留されたのだ。 父を待つ子らは、父親の連れて行かれた海原をいつ帰ってくるかと眺めていた。なかなか帰ってこない。やがて流氷の流れ来る季節になってきた、という句意になるだろうか。
 父は帰って来ないのに、巨大な氷の塊の流氷がやってきたのだ。

 終戦の年に生まれた筆者あらきみほは、その頃の父のことは、耳にしていたにしても、よく分からなかったし、詳しくは覚えていない。だが、肺病の初期かもしれないということで、父は兵役を逃れたとしばらく後に聞いている。背高のっぽの痩せ細っていた父であったと、母も祖母も言っていたが、反戦主義者であった。
 
 捕虜となった軍人たちの抑留先は、ソ連のシベリアや満州など。シベリアでは、氷点下40度という極寒の地で、ろくな食べ物も与えられず、シベリア鉄道建設工事という過酷な労働を強いられたという。
 
 だが、本国には父を待つ子も妻もいる。ここで死んでたまるか、こんなことで死んでたまるかという根性で、抑留された誰もが頑張り通したにちがいない。