第八百三十夜 有馬朗人の「霾れり」の句

 3月9日に動物病院に2度目の腸閉塞で入院したノエルは、その日のうちに手術をした。タオルが2つも詰まっていたという。それでは苦しいに決まっているのに、空きあらば、布切れを食べてしまうし、叱っても懲りないし・・。
 手術の翌日、娘と動物病院へ様子を見に行くと、手術の翌日だというのに、もう飛び上がって喜んでいる。コロナで、待合室にも一人しか入れてもらえないので、私は駐車場の車の中で待ち、ノエルの飼主である娘が診察室に入って、嬉しさを爆発させて動き回っている動画を撮ってきてくれた。
 手術から4日目には、黒犬ノエルの腹部は、しろじろと大きな剃り跡があり、縫目の上には絆創膏が貼られた姿で、意気揚々として家に戻ってきた。
 
 いつものように夫と散歩にも行き、夜は、私のベッドにとび乗って、すやすやと寝息を立てて、何ごともなく朝を迎えた。いくら能天気な犬でも、少しは反省をしてくれなくては・・腸閉塞の手術代は娘が払っているが、一回20万円を超えた金額である・・。3度目はないことを祈っているが・・。
 
 今宵は、「霾(つちふる)」「春疾風」の作品をみてみよう。

■1句目

  ジンギスカン走りし日より霾れり  有馬朗人 『天為』
 (ジンギスカン はしりしひより つちふれり) ありま・あきと

 ジンギスカンは、チンギス・カン、成吉思汗とも表記される、モンゴル帝国の初代皇帝である。
 季語「霾」とは、蒙古や中国大陸北部の、黄土地帯で舞い上がった大量の砂塵は空をおおいつくし、太陽の光をもさえぎる現象のことである。
 
 有馬朗人は、物理学者として留学をし、会合では世界中を飛び回る仕事柄、海外詠も多い。第8句集『鵬翼(ほうよく)』の帯には、「国際的な物理学者の有馬朗人は存在せず、ひとりの旅人としての俳人がいるだけだ。詩人の翼が異国の景にふれて、新しい俳句が生れる。」と書かれている。句集『鵬翼』に収められた海外詠は総数566句であるという。
 
 北回りでヨーロッパへ行ったの時のこと、機内から眼下を眺めると、モンゴル高原がどこまでも続いている。井上靖の小説『敦煌』を思い出し、ふっとジンギスカンたちが、走り回り、国盗合戦をしながら領土を拡大してゆく光景を想像したのかもしれない。
 
 掲句は、有馬朗人の想像した、大空からモンゴル大高原を俯瞰した雄大な世界である。
 
■2句目

  尼通る春の風雨に傘しづめ  深見けん二 『父子唱和』
 (あまとおる あめのふううに かさしずめ) ふかみ・けんじ 

 この作品は、「英勝寺 五句」という前書のある中の2句目である。
 
  さして来る黒き春雨傘は春
  尼通る春の風雨に傘しづめ ○
  尼寺の今日の風雨の春燈
  高々と尼の干物五月晴
  小走りの尼に蜥蜴のきらと跳ね
  
 英勝寺は、神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある浄土宗の寺院であり、現在、鎌倉唯一の尼寺である。山号は東光山。寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家の家宰(かさい)であった太田道灌邸跡地とされる。
 家宰とは、室町時代の武家に多く見られた一家あるいは一門内の職責の一種。 家長に代わって家政を取りしきる職責の事で、家事を宰領するという意味合いから家宰の名がついたという。
 
 句意は次のようであろう。
 
 尼寺の英勝寺の境内を、一人の尼が、春の風雨の強い中を歩いている。外から戻ってきたのか、これから出かけて行くところなのであろうか。
 下五の「傘しづめ」とは、風が強いので、高く差していると傘は吹き飛ばされてしまいそうになる。そこで尼は、傘を沈めるように低く差していたのであったのだ。傘をしずめる、というゆったりした尼の動きは、なんとも心ひかれる動きである。
 
 季語は「春の雨風=春疾風」ではあるが、尼の「傘しづめ」という表現があることによって、返って、雨風の激しさ強さを感じることができる