第八百三十一夜 中村汀女の「蕗の薹」の句

 蕗の薹のことを書くのは、昨年の2月24日につづいて2度目。今年もわが家の隣の空き地に蕗の薹が顔を出したが、1月も2月も寒さが厳しかったためか、いつものように夫が摘んできてくれたのが3月の初めであった。
 
 守谷市に越してきて17年目になる。ここは、ふれあい道路から高台になっているからか、お隣にある空き地には一向に家が建つ気配がない。お陰で、蕗の薹の芽吹きの一部始終を2階の窓から眺めることができる。茎で繋がっている蕗の薹は、太い茎が空き地いっぱいに延びていて、まるで地上にちりばめた星空のようである。
 
  目が色をおぼえつぎつぎ蕗の薹  秋山トシ子 「花鳥来」
  
 この句は、私も所属していた深見けん二先生の「花鳥来」のお仲間の秋山トシ子さんの作品。『細密画で楽しむ里山の草花100』に添えた文中に入れていた。大地の色に蕗の薹の色があらわれている。目を辺りに向けてゆくと、目が色を覚えてくれていて、あっ! ここも、ここもよ、と薄緑色の蕗の薹が教えてくれるのだった。
 
 今も窓から空き地を見下ろしたところだが、あるわあるわ・・太い茎から蕗の薹が点々と出ていた。なんという愛らしい形であろうか。
  
 空き地で摘んだ薄緑色の蕗の薹は、毎年、ガラスの器にびっしり並べて活ける、その夜は天ぷらにする、ここまでは私。その後、苦みばしった味の蕗味噌を作るのは夫である。私よりもこまごまと料理をする。「お前さんは、こうした料理を作らない!」と、さんざん文句を言いながらも、料理本も揃え・・毎年のように蕗味噌を作ってくれる。
 
 私は、地に蕗の薹という芽吹きを毎年のように見せてくれている天の神様に、ちゃんと掌を合わせている。
 
 今宵は、「蕗の薹」の作品を紹介しよう。

  蕗の薹おもひおもひの夕汽笛  中村汀女 『中村汀女全句集』
 (ふきのとう おもいおもいの ゆうきてき) なかむら・ていじょ

 中七の「おもひおもひ」とは、思うままの、ということであるが、「蕗の薹」のおもいおもいなのか、夕汽笛のおもいおもいなのか、どちらかしらと考えた。
 
 季語「蕗の薹」の、土をもたげて現れてくる姿かたちは、坊主頭の子どものようでもある。掲句は、夕べの草原を走る列車からの光景かもしれない。列車が汽笛を鳴らしながら走ってゆく草原には、蕗の薹が芽を出してずらりと立ちならんでいる。
 
 掲句は次のようであろうか。蕗の薹のひとつひとつが、夕汽笛のどこかしら寂しげな音の中で、まるで人間であるかのごとく、おもいおもいの心で耳を傾けているのですよ、と。
 
 私は、「蕗の薹」のおもいおもいであろうと、解釈したいと思った。
 
 汀女は、熊本県生まれ、俳句は女学校の頃からホトトギスに投句していたという。結婚してからは大蔵官僚の夫の転勤とともに東京、横浜、仙台に住んだ。掲句は、遠い昔、たとえば九州熊本から東京へ向かう列車からの光景ではないだろうか。。