第八百二十三夜 服部嵐雪の「むめ一輪」の句

 いつもスーパーへ行くときでも、車で行ってしまう。娘からは、「歩きなさい! 大腿骨骨折の一番の療法は、太陽に当たることと、歩くことなんだから!」と、注意されている。夫もなかなか厳しい。犬の散歩は、家族が分担しているが、私の担当は今も夜である。夜空の星や月を眺めることが好きだから、ま、いいか!
 
 玄関から数段の階段がある。この家に越してきたとき、80歳になっていた母のために、玄関と2階への階段に手すりをつけた。その手すりが今、私には有難い。
 犬のノエルは、私を気遣ってくれているかのように、階段でも夜の散歩でも、私の足元を見ながらペースを合わせてくれる。

 昨夜、気づいたが、散歩道から見える大きなお邸の、八重咲きの枝垂れ梅が、満開直前のじつに美しい姿を見せてくれていた。

 今宵は、「梅」の作品をみてゆこう。

  むめ一輪一りんほどのあたゝかさ  服部嵐雪 『ホトトギス 新歳時記』
 (むめいちりん いちりんほどの あたたかさ) はっとり・らんせつ

 句意は、梅の花が、今日一輪咲いた、気がつくと午後の陽にもまた一輪咲き出した。春の陽が照り、翌日も春の陽が照るが、昨日よりも今日の方が暖かく感じられる。ほんのわずかな暖かさの違いを、嵐雪は「梅一輪ほどのあたたかさ」であると捉えたのだ。白梅一輪でも紅梅一輪でもいい。一日ずつ、ほんの僅かずつ、昨日よりも今日はあたたかい、ということを嵐雪は詠みたかったのだ。
 
 歳時記では「むめ一輪一りんほどのあたゝかさ」ではなく、「梅一輪一輪ほどの暖かさ」と表記している方が多い。「むめ」は「梅」のことで、万葉の表記では「烏梅」としている方が多いが、平安以降の仮名表記では「うめ」「むめ」のどちらも使っているので、後世になって与謝蕪村に「あらむつかしの仮名遣ひやな」と嘆かせたという。
 
 私たちが現代の歳時記で見るのは、服部嵐雪の作品も「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の形で見ることが多い。いくつか歳時記を見比べたが、『ホトトギス 新歳時記』では昔のままの「むめ一輪一りんほどのあたゝかさ」で掲載されていた。

  大仏の境内梅に遠会釈  高浜虚子 『六百句』昭和18年
 (だいぶつのけいだい うめにとおえしゃく) たかはま・きょし

 高浜虚子は、明治7年2月22日、愛媛県松山市の生まれ。この句を詠んだのは、昭和18年2月21日。古希の前日に、古希祝いを兼ねて家庭俳句会が鎌倉の南浦園で行われた。南浦園は料亭と思われるが、現在もあるかどうか調べがつかなかった。

 大仏は、鎌倉大仏のこと。古希祝いの料亭へ行くときに鎌倉大仏殿高徳院の境内をゆくと見事な梅の木がある。その梅をとお眺めに会釈をして、虚子は、今日の家庭俳句会の会場の南浦園へ向かいましたよ、という句意になろうか。

 掲句の大仏は、鎌倉大仏のことで、正しくは鎌倉大仏殿高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像である。4、5回は観に行っているが、見上げる度に圧倒される大きさである。1252(建長4)年に制作されたときには、鎌倉大仏を蔽う大仏殿があったというが、さぞ巨大であったろう。現在は露坐の大仏である。疵もあり染み(シミ)もあるが、人は、大仏が年輪を重ねた御顔であり御姿であるところに惹かれるのであろう。