3月21日 第八百三十五夜 三嶋八千穂の「つくしんぼ」

 私が小学校一年生になる年に、わが家は、杉並区の井草教会が併設していたひこばえ幼稚園のお向かいに越してきた。70年も経つ。お隣には同い年のアッコちゃん、近くにはユッコちゃん、駅の方に少し歩いてトモちゃんと仲よしであった。
 
 当時の遊びは、お互いの家を行き来して、ただお喋りして、笑い転げていた・・、それから外へくり出した。わが家に集まったときは、家の前のぼうぼうと草の生い茂る空地と、空地の外れから細い道をぬけた雑木林が遊び場となっていた。

 遊びはおままごと。生えている草や花を見わたして、おままごとの素材にするのは今頃であれば、土筆(つくし)だ。細かく刻んでご飯に、長い形のままお皿におけば焼き魚にも見えるだろう。ままごと遊びの句と言えば、次の星野立子の作品が浮かぶ。
 
  まゝ事の飯もおさいも土筆かな 星野立子 『星野立子全集』
 (ままごとの いいもおさいも つくしかな)
  
 星野立子の作品は、ままごとと素材の土筆とのゆるぎない関係を、見事にいい止めている。この作品は、星野立子が父の高浜虚子に見せた初めての句であった。虚子は、立子俳句を「心に浮かんだことが瞬時に五七五の調べとなった流れるような句である。」とした。

 今宵は、「土筆(つくし)」の作品を紹介しよう。傍題に、つくづくし、つくしんぼ、土筆摘む、などがある。

  野点よりもどる袂につくしんぼ  三嶋八千穂 『季寄せ-草木花』朝日出版社
 (のだてより もどるたもとに つくしんぼ) みしま・やちよ

 東京から茨城県の取手市に移転し、4年後には守谷市に移転したとき、小学校時代からの友人和子さんが、「電車のつくばエキスプレス、車での練馬から関越自動車道と常磐自動車道を走れば、40分ほどで行けるわよ。」と言って、「みほさん、句会をやりましょうよ。」と言ってくれた。その後8年間つづいた「円穹(えんきゅう)」俳句会の始まりであった。句会は守谷市役所の一室で行い、年に4回ほどは吟行をした。10名ではじまった「円穹」句会は、いつか20名を超えていた。
 
 守谷市から北西へ行くと、福岡堰という小貝川の堤があり、2キロほどの堤は桜並木になっている。メンバーの一人がお茶の師範であったので、春には、野点をした。茶道も野点も初めてという人が私を含めて半分ほど。わいわい言いながら、赤い毛氈を芝生の上に敷き、慣れない正座ををし、しゃんとして、用意された黒い楽焼茶碗で、野点を体験した。この日、句会が出来たかどうか、記憶は朧である。

 掲句は次のようであろうか。手作りのお弁当を分け合い、野点も無事に終り、ツバメが飛び立ち、葦原が風にざわめく音を聴きながら、広々とした堤の原っぱでは、ばらばらに散り、つくしんぼを摘みはじめた。
 今日の収穫は、袂にふくれんばかりに詰めこんだ「つくしんぼ」だ。

 「袂に」の措辞がいいなあ・・「ジーパンのポケットに」もいいけれど、平成時代の「ピクニック」ではなく、大正末期から昭和初期の「野遊び」の雰囲気が醸し出されてくるのは、「袂」の文字があるからであった。
 
 三嶋八千穂(みしま・やちよ)さんは、大阪府出身。夫は医師。結社「天狼」で山口誓子主宰に俳句を学び、誓子亡きあとは「狩」の鷹羽狩行に師事した人である。吟行するときは師の山口誓子を車に乗せてまわり送迎もした。三嶋八千穂の夫は、妻の運転で誓子先生にご迷惑をかけてはいけないからと、頑丈なベンツを妻の八千穂さんに買ってあげたという。