第八百三十六夜  日野草城の「初花」の句

 昨日は春分の日。この春分の日を「お中日」とした前後三日ずつの七日間を彼岸という。今年の彼岸の入は3月18日、21日が春の彼岸のお中日、24日までを彼岸という。今年の春分は3月21日の月曜日だったので、土日月という思わぬ三連休となった。
 
 3月21日は、腸閉塞の手術をした犬のノエルが、動物病院で抜糸をする日。この日は休日なのに、取手動物病院の休日は水曜日で、それ以外は必ず開けて診療してくださる。車で行くのだが、車中ではしゃぎすぎるノエルの監視役として、娘に付いてゆき、後部座席で犬と一緒にいた。
 ノエルがはしゃぎすぎるのは、車に乗るからだけではない。ノエルは、動物病院のお医者さんも看護師さんも受付のお姉さんも、大好きなのだ。だから入院するときもケロッとしているし、手術の翌日に見舞うと喜ぶが、置いて帰ろうとしても看護師さんと一緒に病室へと、尻尾を振りつつ振り向きもせずに戻っていく。
 
 一代目の黒ラブのオペラとは全くちがって、綱を外すと室内でもずっと動きっぱなし。というわけで、二代目の黒ラブのノエルは一日中、家で飼われているのに、綱をつけたままの人生ならぬ犬の一生のまま、これまでのように、これからも通すことになりそうだ。
 
 コロナ禍では動物病院の待合室に付き添って入れるのは娘一人。、私は待ちながら、病院脇をぶらぶらしていると、桜の木があった。低い枝先に3輪ほど咲いている・・そんな枝先が2、3本・・初花に逢うことができたのだ。 

 今宵は、「初花」の2句の作品を紹介してみよう。
 
■1句目
 
  初花の水にうつらふほどもなき  日野草城 『日野草城前句集』
 (はつはなの みずにうつろう ほどもなき) ひの・そうじょう

 「うつろふ(映ろふ)」は古語で、「映る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「映らふ」が変化した語である。
 
 水辺の桜の木に、ちょうど初花が綻びはじめた。この初花は水に映っているだろうかと作者は覗き込んでみた。だが一輪二輪ほどの初花は、その姿を映してはいなかった。桜の花びらは薄っすらした色彩しかもたないから、一輪二輪ほどでは水に映るほどではなかった、という句意になろう。

■2句目

  初花は空に消えたるごとくなり  高浜年尾 『高浜年尾』
 (はつはなは そらにきえたる ごとくなり) たかはま・としお

 初花は、3月の中旬頃に咲くことが多い。今年は、3月20日に東京で桜開花の発表があった。私の住む茨城県の守谷市でも、21日に車の中からではあるが、桜並木のつづくふれあい道路の、小高くなった場所の校門近くに、初花を見た。
 
 1句目の日野草城は初花を、
 「水にうつらふほどもなき」と詠み、
 2句目の、虚子の長男である高浜年尾は初花を、
 「空に消えたるごとくなり」と詠んでいる。

 2句ともに、「初花」を初めて見る桜、という意味だけでなく、花びらの薄さ、あえかさ、水に映る重量感もなく、見ているうちに視界から消え、空へと消えてゆく実態として捉えたのであった。