第八百三十七夜 津髙里永子さんの第2句集『寸法直し』を読んで

 今宵は、津髙里永子さんの第2句集『寸法直し』から幾つかの作品を紹介させていただこう。

 今年の2月にご贈呈くださった句集のタイトルの『寸法直し』に、まず惹かれた。さらにタイトルの文字にどこか懐かしさを感じたが、目次ページの裏に「題字 深見けん二」の文字が飛び込んできた。
 
 けん二先生には、様々の結社の方々とお付き合いがあり、また、けん二俳句ファンも大勢いらした。きっと私が「花鳥来」のメンバーであったことをご存知で、『寸法直し』をお送りくださったのだと思っている。
 
 奥付がすばらしい! 「2022年2月22日」であった。同じ数字が6つも並ぶ奥付は二度とあることではないから、まさに幸せな第2句集の船出といえようか。
 
 目次は、Ⅰ衿、Ⅱ袖、Ⅲ裄、Ⅳ袂、Ⅴ裾、Ⅵ丈の章立となっている。各章からⅠ句を引いて鑑賞を試みてみる。

■Ⅰ衿

  月光に晒されて地のうごめける Ⅰ衿
 (げっこうに さらされてちの うごめける)

 私がゆく毎夜の犬の散歩は、守谷市でも台地となっている場所である。片側は家々が立ち並び、反対側は家がぽつぽつ建ちはじめているが、まだほとんど畑地として広がっている。この畑地からの月がすばらしい! 
 
 句意はこうであろう。広がる大地をじっと眺めている作者の目に、この時、月の光に照らされている満面の大地が、もそっと動いたかのように見えたという。「うごめける」は、動いているようにも感じられるというほどの幽かな動きである。「地のうごめき」を感受できることこそが、作者の詩的な力なのであった。

■Ⅱ袖

  紫陽花を活けて瓶ごと不安定 
 (あじさいを いけてびんごと ふあんてい)

 紫陽花は、細い茎のてっぺんに重たげな花の毬をかかげている。大好きな花だが花瓶に活けることが案外にむつかしい。一方に偏ると花の重さで花瓶がふらふらと傾きそうになるからだ。
 
 「瓶ごと不安定」とはそういうことであろう。「不安定」という言葉は、決して詩的ではないと思うが、「ゆらゆらと」「ふらふらと」などの副詞ではなく、敢えて「不安定」ときっぱり言い切ったことで、一句に強さが出た。

■Ⅲ裄

  糸瓜垂れ律の無言を聴いてゐる
 (へちまたれ りつのむごんを きいている)

 正岡子規の晩年の姿である。律(りつ)は子規の妹。子規は、正岡家の長男であり家長であった。明治28年日清戦争からの帰途二度目の大喀血をした子規は、以後寝たきりの生活となった。庭に糸瓜を植えていたのは、咳止めになるヘチマ水を採取するためであったが、子規の病室の日除けでもあった。
 
 句意はこうであろう。子規の寝床から見上げる棚には糸瓜が垂れている。妹の律は、兄の身の回りも家事も、黙ってもの静かにこなしてゆく。その妹律をだれも褒めることはない。
 だが、庭の糸瓜棚に垂れていて、律と同じく無言のまま垂れている糸瓜は、律の無言の胸の内の言葉をちゃんと聴き取っているのですよ、となろうか。

■Ⅳ袂  

  被災地の広さに冬日浮いてゐる
 (ひさいちの ひろさにふゆび ういている)

 「被災地」とは、東日本大震災が起こったいわき市の太平洋岸に沿った地域のこと。茨城県から福島県のいわき市への県境が勿来の関で、少し手前の茨城県側に五浦(いずら)がある。津波が届いたらひとたまりもないほど広がる海岸線だ。
 
 早朝の東北自動車道を北へ走りながら、右手の海岸をちらっと見ると、太平洋に朝日が上ってきた。被災地から眺める、広々とした太平洋の東の海に上ってくる冬日の出である。まさに浮いているようであった。
 
■Ⅴ裾
 
  寸法直しせずやしぐるるわが裾野 
 (すんぽうなおし せずやしぐるる わがすその)

 普通に考えれば、「寸法直し」は仕立てるとき、しばらく着ていてどうしても直したい場合で、購入したお店、あるいは仕立ててもらった洋装店で寸法直しをしてもらう。句意はむつかしそう!
 
 寸法直しをしていなかったなあ、何年か過ぎれば、やがて時雨に遭って濡れそぼってしまうように、私の服の裾はだらっとしてきましたよ、という句意でいいのだろうか? 

■Ⅵ丈

  くろぐろとオーロラを待つ針葉樹
 (くろぐろと オーロラをまつ しんようじゅ)

 第2句集『寸法直し』のあとがきには、「この15年間の暮らしの中では無理をしてでも時間を作って海外へ旅することが私のメリハリの一つとなっていた」とあり、Ⅵ丈の章には海外詠が置かれている。
 
 句意はこうであろう。オーロラを観に北極圏に近い北国を訪れたときのこと。津髙里永子さんたちがオーロラを待っていたのは、スギやカラマツのくろぐろとした針葉樹林帯の暗さの中でしたよ、となろう。
 
 集中、一番自然な形で、私はこの客観描写の作品に入ってゆくことができた。