第八百三十九夜 深見けん二の「初蝶」の句

 「てふてふひらひらいらかをこえた」という、ひらがなだけの、字足らずの、種田山頭火の自由律の句がある。自由律俳句というのは、五七五の定型を破り、季語に囚われず、気分や思いのままに口語で自由に表現したものであるが、山頭火の自由律は、〈歩く〉ことで独自の視点とリズムを得たのであった。
 
 「あるけばかつこういそげばかつこう」は、四四調のリズムで「かつこう」の反復が、耳に心地よく響き、かっこうと山頭火が追いかけっこをしているかのようである。
 
 山頭火の俳句の作り方は、身体を張って得たものであった。遺稿『愚を守る』でこう述べている。
 「無芸無能の私の出来る事は二つ。二つしかない。歩くこと――自分の足で/作ること―ー自分の句を/私は流浪するしかないのである。――詩人として・・」と。
 
 漢字にすることで物の姿が見えてくるもの、平仮名にすることで物の姿が見えてくるもの、さまざまであるが、作句する際には、そのものの姿が一番よく表れるように詠むことができたらすばらしい、文字には、その力があることを知っておきたい。

 今宵は、「初蝶」「蝶」の作品を見てみよう。

  初蝶の汀づたひに黃なりけり  深見けん二 『菫濃く』以後
 (はつちょうの みぎわづたいに きなりけり) ふかみ・けんじ

 平成25年3月の第3週目、すっかり春めいていた小石川後楽園での作品。この日の「花鳥来」の例会には私も参加していたので、句会の様子を思い出してみよう。
 
 小石川後楽園での吟行句会は、四季折々を数えるとかなりの回数であった。行く度に、入口前の看板を見て、時代の歴史を頭に入れてから入場した。ここは、都内に現存する大名庭園の中で最も古く、水戸徳川家上屋敷の庭園で、2代藩主の光圀候の代に完成したものである。
 
 入口を抜けると、眼前に池が広がる。池に沿って歩き出すと、山から流れる小川が池に合流する。橋があるのではなく敷かれた石の上を滑らないように渡った。先に進むと、大名屋敷の庭に田んぼがある。「海・山・川・田園」を見立てた起伏に富んだ景観を設えた庭園なのだという。
 
 けん二先生が、池の縁に佇んでいる。
 
 やがて句会の時間となり、涵徳亭の中に入った。短冊が配られ、書き込み、短冊が集められ、掻き交ぜてから各自に配られ、各自は良いと思う作品をノートに書き込み、短冊を次の人に回す。
 そのとき、「初蝶の汀づたひに黃なりけり」の短冊を見た私は、けん二先生の作品だと思った。
 
 句意はこうであろう。池を眺めていると、一頭の蝶が、高く飛び上がることもなく、池の水際である汀に沿って飛んでゆくのを見た。黃蝶であった。低く飛んでいるということは、生まれて間もない初蝶であるにちがいないと、そう思った。
 
 句会に出席しても、なかなかけん二先生の作品を選ぶことはできない。ごく平明に詠まれ、とても自然な詠み方だからあるからであろう、こうしたことに気づくのは、ずっと後になってから・・はっきり申し上げれば、お亡くなりになって全句集を読み直してから・・かもしれない。
 
 あの日、私がこの作品を選ぶことが出来たことは、今でも、ささやかな自慢である。

  手枕や蝶は毎日来てくれる  小林一茶  宗左近編『小林一茶』
 (たまくらや ちょうはまいにち きてくれる) こばやし・いっさ

 蝸牛社の蝸牛俳句文庫29は、宮坂静生編著『小林一茶』である。略年譜は参考にさせていただいたが掲句の鑑賞は納められていなかった。
 
 句意は次のようであろうか。手枕(たかくら)とは、てまくらの意で、多くは、男女が共寝する折に、相手の腕を枕にすることをいうそうだ。一茶は一人寝ではなく、戸を開け放した中での妻との昼寝であったのだ。
 そこへひらひら飛んで来てくれるのが蝶であったのだ。

 この作品は、「手枕(たまくら)」を正確に捉えないと、意味を掴みそこなってしまう。