第八百四十一夜 高浜虚子の「金の眠り」の句

  眠りの誘ひ             立原道造

 おやすみ やさしい顔した娘たち
 おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
 おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
 活発な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
 
 私はいつまでもうたつてゐてあげやう
 私はくらい窓の外に さうして窓のうちに
 それから 眠りのうちに おまへらの夢のおくに
 それから くりかへしくりかへして うたつてゐてあげやう
 
 (略)
      (『立原道造全集 第一巻 詩集1』「暁と夕の詩」より)

 今宵、もう一夜、「春眠」の作品を見てゆこう。

  金の輪の春の眠りにはひりけり  高浜虚子 「六百句時代」所収
 (きんのわの きんのねむりに はいりけり) たかはま・きょし

 この作品から、小川未明の「金の輪」という童話を思い出した。金の輪をくるくる回しながらゆく少年を、遠くから眺めていた病気の少年が、その数日後には死んでしまう話である。金の輪は仏像の光背とも取れ、「春の眠り」の季題を配したことで、心安らかな死を感じさせてくれる。死ぬ前に「金の輪」を見たことに、死の意味があったのだろう。
 
 誰かが死ぬということではない。死ぬときには、このようでありたいという願望が、「春眠」という春の眠りの甘やかな季題となって作品になった。春の眠りを「金の輪」の中に入ったようであると捉えた、虚子の主観の力の大きさを思った。
 
 「金の輪」は、先に、小川未明の童話を思い出してしまったが、よく晴れた、日ざしの強くなった4月の太陽であると、考えた方がよいのかもしれない。晴れた日、太陽に目を向けて、ちょっと目をつぶってみよう。眼裏(まなうら)が黄金色になって、丸い眼裏には、金の輪が生まれていることに気づくだろう。
 
 作品の句意はこう考えてみた。明るい日差しの下で、目を閉じたとき、金の輪の中で、至福のまどろみに落ちてゆくのであった。
 
 昭和17年4月23日、丸之内倶楽部俳句会での作品で、おそらく「春眠」は当日の兼題だと思われる。
 
 「六百句時代」とは、第3句集『六百句』の句を選ぶ際に多く選んでおいたものを、纏めたものである。
 

  春眠や靉靆として白きもの  『五百五十句』
 (しゅんみんや あいたいとして しろきもの)

 掲句は、昭和15年4月8日、丸之内倶楽部別室で開かれた笹鳴会での作品。
 。
  春眠の一句はぐくみつゝありぬ
  春眠を起すすべなく見まもれり  
  春眠や靉靆として白きもの
  春眠の一ゑまひして美しき

 1句目、いざ春眠の句を詠んでみようか。
 2句目、快い眠りに入っているのは女人であろうか。
 3句目、春の眠りとは白い霞か雲のなかを漂っているようである。
 4句目、夢を見ているのか、唇に笑みをたたえて、なんて美しいのであろう。
 
 『五百五十句』には、上の「春眠」の4句が並んでおり、4句が流れるように詠み継いで、一つの場景となっている。