眠りの誘ひ 立原道造
おやすみ やさしい顔した娘たち
おやすみ やはらかな黒い髪を編んで
おまへらの枕もとに胡桃色にともされた燭台のまはりには
活発な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)
私はいつまでもうたつてゐてあげやう
私はくらい窓の外に さうして窓のうちに
それから 眠りのうちに おまへらの夢のおくに
それから くりかへしくりかへして うたつてゐてあげやう
(略)
(『立原道造全集 第一巻 詩集1』「暁と夕の詩」より)
今宵、もう一夜、「春眠」の作品を見てゆこう。
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金の輪の春の眠りにはひりけり 高浜虚子 「六百句時代」所収
(きんのわの きんのねむりに はいりけり) たかはま・きょし
この作品から、小川未明の「金の輪」という童話を思い出した。金の輪をくるくる回しながらゆく少年を、遠くから眺めていた病気の少年が、その数日後には死んでしまう話である。金の輪は仏像の光背とも取れ、「春の眠り」の季題を配したことで、心安らかな死を感じさせてくれる。死ぬ前に「金の輪」を見たことに、死の意味があったのだろう。
誰かが死ぬということではない。死ぬときには、このようでありたいという願望が、「春眠」という春の眠りの甘やかな季題となって作品になった。春の眠りを「金の輪」の中に入ったようであると捉えた、虚子の主観の力の大きさを思った。
「金の輪」は、先に、小川未明の童話を思い出してしまったが、よく晴れた、日ざしの強くなった4月の太陽であると、考えた方がよいのかもしれない。晴れた日、太陽に目を向けて、ちょっと目をつぶってみよう。眼裏(まなうら)が黄金色になって、丸い眼裏には、金の輪が生まれていることに気づくだろう。
作品の句意はこう考えてみた。明るい日差しの下で、目を閉じたとき、金の輪の中で、至福のまどろみに落ちてゆくのであった。
昭和17年4月23日、丸之内倶楽部俳句会での作品で、おそらく「春眠」は当日の兼題だと思われる。
「六百句時代」とは、第3句集『六百句』の句を選ぶ際に多く選んでおいたものを、纏めたものである。
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春眠や靉靆として白きもの 『五百五十句』
(しゅんみんや あいたいとして しろきもの)
掲句は、昭和15年4月8日、丸之内倶楽部別室で開かれた笹鳴会での作品。
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春眠の一句はぐくみつゝありぬ
春眠を起すすべなく見まもれり
春眠や靉靆として白きもの
春眠の一ゑまひして美しき
1句目、いざ春眠の句を詠んでみようか。
2句目、快い眠りに入っているのは女人であろうか。
3句目、春の眠りとは白い霞か雲のなかを漂っているようである。
4句目、夢を見ているのか、唇に笑みをたたえて、なんて美しいのであろう。
『五百五十句』には、上の「春眠」の4句が並んでおり、4句が流れるように詠み継いで、一つの場景となっている。