第八百四十二夜 春休みのお知らせ

 昨日、第八百四十一夜を終えました。ここで、5日間ほど、春休みにさせて頂きたいと思います。
 毎夜お読みくださっている皆様、また時折に「千夜千句」にお立ち寄りくださいました皆様、本当に有難うございます。
 
 この間に、脳内の整理とリフレッシュ、そして資料の整理ができましたらと考えております。

 千夜まで、あと160日、5ヶ月ほどです。11月10日の私の喜寿の誕生日がゴールインの予定日です。
 毎回1600字ほどの原稿ですが、毎日なんとか綴ってゆけるのも、これまでに刊行した著書『毎日楽しむ 名文365』林望監修(中経出版)や『図説・俳句』(日東書院)があり、深見けん二主宰の結社誌「花鳥来」では、虚子の流れだけではなく、正岡子規以降の、伝統的・前衛的な現代俳句の流れを俯瞰した原稿を書く機会を与えてくださったことのお陰だと感謝しております。
 一冊一冊を書き上げるには、俳人協会の図書室、国会図書館へ通い詰めましたし、コピーの山に溢れていました。
 
 もう一つのお陰は、「千夜千句」は俳句を扱っていますので、俳句は季語が主ですので、日々刻々変わりゆく自然を季語を詠み込んだ俳句を選ぶことが出来れば、あとは鑑賞です。
 折角の学びのチャンスと捉えて、これまで句意がうまく取れなかった作品への挑戦と考えて作品を選ぶようにしております。
 
 『図説・俳句』に前書を書いてくださった深見けん二先生の「俳句の流れを俯瞰した好著――本書に寄せて」から、次のように、一部を抜粋して掲載させて戴きます。
 
 みほさんは、私が平成3年創刊した俳誌「花鳥来」に間もなく参加し、編集の一員ともなりました。又「花鳥来」の、虚子『五百句』研究、『七百五十句』研究の輪講の一員として、必ず参加し、共に虚子俳句を学びました。
 もともと文学少女のみほさんは、その後ご主人と共に、『碧梧桐全句集』『俳句文庫』などの編集を数多く手がけ、伝統俳句に限らず、新傾向、自由律、新興俳句、前衛俳句の幅広い作家の作品にふれ、それを読み通してきました。
 私は、「花鳥来」で、また他の機会にも、みほさんに作家論を書くことを積極的に勧めてきました。そしてそのまとめたものは、私の納得するものでした。
 みほさんは、虚子を学んでも虚子の周りの俳人たちに興味がゆきます。さらに虚子と違う俳句観を持つ作家にも興味を抱きます。
 そのことにより、本書が、子規・虚子を中心としても、公平に、俯瞰的に、子規以後の現代俳句の流れを書くことに成功したと思います。
 また、何をするにしても、基礎を頭から体の中に叩き込まずには前進できないという不器用な性格は、本書の編集にふさわしく、苦しみながらもきっと楽しんで仕上げたことでしょう。そのことによって、本書は、たいへん読み易いものになりました。
 初心者ばかりでなく、現代俳句のこれまでの流れに興味ある方に是非読んでいただきたい一書として、この本を推薦いたします。
 
 という素晴らしいお言葉を、私はけん二先生から戴いていたのでした。
 
 当時、気持ちが100%虚子に向いていなかった私を、変わらぬ穏やかな眼差しで、少しずつ虚子研究へと導いてくださいました。虚子の唱導する「花鳥諷詠」や「写生と季題」が、なぜ「俳句・写生・季語」ではいけないのか、またどこがちがうのか」を悩む私に、けん二先生は、碧梧桐の新傾向俳句や新興俳句や人間探求派や新詩精神に裏打ちされた戦後俳句を、読んだり書いたりする機会を幅広く与えてくださいました。
 
 けん二先生は、私の迷っていた時期を、大きく包んでくださったのでした。
 
 明治時代に俳句革新をした正岡子規が早世したことで、伝統俳句の基本を一歩一歩積み上げるように指導し、作家として作品に示したのは虚子でした。
 私にとって虚子は、過去の一人の俳人ではなく、芭蕉より少し身近な存在の、つながってゆきたい」俳人であることを確信するようになりました。
 
 『図説・俳句』には、分かりやすくと考えて、図解を多く入れてみました。図解にしてみることは、私自身にとって大いに役立つことでした。1ページの原稿を書くよりも、図を一つ考えて仕上げることは、はるかに難しいことでした。
 
 けん二先生が、前書で「苦しみながらもきっと楽しんで仕上げたことでしょう。」と、見抜いてくださった言葉が何よりのご褒美でした。
 
 さて、「千夜千句」の残りの百六十一夜、一休みを挟んで達成できますように!