第八百四十四夜 吉井素子の「入学」の句

 70年も昔の小学校時代の春休のことといえば、真っ先に、青っぱなを垂らしていた、同級生の炭屋の息子を思い出す。亡くなって小学校の同窓会に出席しなくなってからも、すでに20年は経っている。
 
 彼のことで思い出すことの、二番目が、彼の店の配達用の荷車である。この荷車で、彼は、私たち同級生のトモちゃん、アッコちゃん、ユッコちゃんを一人ずつ、代わる代わる乗せて、当時住んでいた東京都杉並区の下井草の駅前通りを走ってくれた。駅前の目抜き通りだが、車の往来も少なかった。
 帰り道もきっと、家まで送り届けてくれたと思う。私たちに、ちょっとしたお姫様気分を味わわせてくれた同級生の男の子であった。
 この荷車遊びを考え出して、日々運行してくれた彼が、なぜだか男の子同士で遊んでいた姿を思い出すことがない。
 
 青っぱなを垂らしている子を最近は見かけなくなったが、調べてみると、戦後生まれという時代的な栄養事情もあったようだ。蓄膿症であったのかもしれない。
 
 学校の春休の終了は4月5日、今日4月6日から多くの学校の新学期がはじまっている。

 今宵は、「入学」の作品を紹介しよう。

■1句目

  よそゆきの母見上げゐる入学児  吉井素子 『蝸牛 新季寄せ』
 (よそゆきの ははみあげいる にゅうがくじ) よしい・そし

 娘が小学校の低学年の頃、音楽教室に通っていた。ある参観日、幼稚園児の弟を連れて姉の音楽教室に出かけた。先生がピアノを弾いて、「いま、弾いた音階がわかる人、いるかな?」と言った時だ。もじもじして誰も答えない。
 音楽教室の生徒でもない息子が、いきなり大きな声で、「ミレドレ、ミミミ、ミソソ、レファファ」と、音に合わせて唄うように答えたではないか。そし息子は母の私を見上げた。
 若い先生は驚いたが、「はーい、すごい! 正解ですよー!」と、生徒でもない息子を褒めたのだ。
 
 小学生になってからはどうだったかと言うと、参観日の度に、いろいろ目撃することになった。姉の娘は、隣の男の子とはしゃぎすぎて廊下に並んで立たされていたし、弟の息子は、母親の私をふり返ってばかりいるので、先生から「お母さんは、ずっと君を見ているから大丈夫よ。」と、言われていた。
 
 吉井素子さんは、私と同じで深見けん二先生の「花鳥来」でずっと学んできた仲間である。素子さんの作品は、第百四十九夜で紹介しているが、季語「入学」を紹介するときには、すぐに浮かぶのがこの句である。

■2句目

  入学の吾子人前に押し出だす  石川桂郎 『蝸牛 新季寄せ』
 (にゅうがくの あこひとまえに おしいだす) いしかわ・けいろう

 小学校の入学式であろう。家を出てから校門までは並んで歩いてきたが、校門近くになると、「さあ、ここからは一人で入って行きなさい。」と、他の子が歩いている中へ、わが子を押し出すようにしましたよ、となろうか。
 
 「(押し出だす)おしいだす」とは、「出す」を強めた語であり、親が子の、独り立ちをうながす動作が「人前に押し出(いだ)す」なのである。

 小学校に入学した時から、他人との関わり方を学んでゆく大切な場となる学校生活に、わが子を委ねる気持ちで送り出せたら、送り出せていたら・・と、77歳となるこの年になって思っているのである。
 
 そう考えた時、この作品の切れは、「入学の吾子 人前に 押し出だす」と、七・五・五と考えるのが、よいのかもしれない。