第七十八夜 波多野爽波の「金魚玉」の句

  金魚玉とり落としなば舗道の花  『舗道の花』

 鑑賞をしてみよう。
 
 金魚玉は、ガラス製の丸い球形の金魚鉢のこと。中七の「とり落としなば」は、とり落としてしまったならばという意味の強い仮定であって、この場合、爽波が金魚玉を落としてしまったということではない。「落としたらどうしよう」と思いながら爽波が金魚玉を抱えているとき、ふと過ぎった「落としてしまった」という幻視である。

 金魚玉はゆっくりと手を離れ、舗道に落ちた。ガラスの割れる音が響き、水は虹を放ちながら飛び散り、赤い金魚たちは鱗をきらめかせ、鰭を激しく揺らし、硬いアスファルトの舗道に叩きつけられた。八方に散った金魚は灰色の舗道に赤色をちりばめ、瞬間「大輪の花」が咲いた。
 だが、実際には金魚は舗道に叩きつぶされたりはしなくて、爽波の空想の幻視によって舗道に散らばった金魚は、「舗道の花」という美へ昇華したのである。

 爽波は、アスファルト舗装の「舗道」がよほど好きだったに違いない。東京でも、昭和四十年頃はまだ都心を外れ主要道路を外れると埃の立つ道だったことを思い合わせると、爽波にとって「舗道」は都会のシンボルであったのだ。 
 その都会的な「舗道」という題材で、爽波は写生句を作り、空想句も作った。硬い舗道の上の割れたガラス、水のきらめき、やわらかな生身の真っ赤な金魚。これらの硬と柔を上手く合わせ、見事な「美」の世界を構築した。「舗道」の語は、一句一章の作品でありながら、二句一章の配合の句のように、季題と同等の位置を占めている。
 
 高浜虚子は『舗道の花』の序で、次のように述べた。
 「一言にして言へば、爽波君の句などこそ、現代俳人の感覚を現はして居る、現代俳句と言つてよかろうと思ふ。然も現代俳人と称へる者の陥つて居る、怪奇蕪雑な措辞でなく、洗練された、形の整つた、いゝ意味の近代的俳句である。」
 虚子が爽波の俳句を現代俳句であると指摘したのは、季題の使い方の新しさであろう。
 波多野爽波(はたの・そうは)は、大正十二年(1923)―平成三年(1991)東京生まれ。学習院中等科より「ホトトギス」で高浜虚子に師事。俳句スポーツ説と名付けた多作多捨により技を磨き、徹底した写生をし、前衛俳句の作家たちと交わることにより、〈老人よどこも網戸にしてひとり〉などの写生を超えたアイロニー漂う「自由闊達な世界」を得た。「青」を創刊主宰。

 もう一句紹介しよう。
 
  赤と青闘つてゐる夕焼かな  『舗道の花』

 エミール・ガレの作品展で観た「暗い花」という花瓶には一片の詩が掘り込まれていた。フランスの象徴派詩人のロベール・ド・モンテスキューの言葉「万物が移ろういとしい時よ、光と闇が闘う時」であった。その時、爽波のこの俳句を思い出した。