第八百五十二夜 あらきみほの「朧」の句

 あらきみほの第2句集をどの時期で出そうか、第2句集は第1句集より、1つでも内容なり技巧なりが勝ったと思えた時が訪れたら、俳句の世界に問うことのできる何かを感じることができたら、その時にしようと思っているが、むつかしい決心である。
 
 しかしもう一歩前進するためには、区切りをつけなくてはならない。

 今宵の季題は「朧」の3回目となる。筆者あらきみほの作品を句集『ガレの壺』から「朧」の作品を紹介させて戴くことにしよう。

■1句目

  長持に佳き男ゐる朧かな  平成5年作
 (ながもちに よきおとこいる おぼろかな)
 
 30年も昔のこと、ある日の深見けん二主宰の「花鳥来」の吟行句会で、本川越にある小江戸と呼ばれる一画を散策した。大通りに残る商家は、現在は土産店や飲食店となって立ち並び、中に、高々と火の見櫓があった。
 私たちは、予約した一件の武家屋敷を見学した。履物は脱いで、靴下のまま室内に上がった。
 
 武家屋敷の名前は失念しているが、ネットで検索すると、本川越に残っている唯一の永島家住宅(旧武家屋敷)であるという。印象的だったのは、磨き上げられていた材質のよい廊下は、一部がすこし盛り上がっていたりして足の滑りがよく、当時若かった私たちは、すこしだけ廊下を滑ってみた。
 
 たくさんの部屋があったが、一つだけ覚えているのは、部屋の隅に長持の置かれていた部屋であった。長持とは、衣類や寝具の収納に用いられた長方形の木箱であった。夫の古い実家にもこのような木箱が残っていたが、旧武家屋敷の長持は、大きくて、じつに立派な作りであった。
 
 私は、この大きさの長持ならば、大奥の女たちが逢引していた男を隠すのにもってこいの大きさであったに違いないと想像した。もしかしたらあの日も長持のなかには「佳き男」が居たかもしれない、そう感じさせる、古さと大きさの長持が、武家屋敷の一室に置かれてあったのだ。
 
 その日の句会で、数人の方が選んでくださった。スコンク(点が入らないこと)ではなかった。「まあ!」という意見の方もいたが、当日のけん二先生の選には入らなかったと記憶しているが、後で、「花鳥来」誌には選んでくださった。
 
 この日の吟行で、唯一残った私の句である。

■2句目

  抱擁の太古のしぐさ解くおぼろ  平成5年作
 (ほうようの たいこのしぐさ とくおぼろ)
 
 このような大胆な句も詠んでいた私は、もう一つの結社、現代俳句協会の石寒太主宰誌「炎環」にも所属していた。石寒太先生には、蝸牛社で俳句関係の出版をする際に相談に乗ってくださり、多くの俳句結社、俳人の先生方を紹介してくださっていた。
 「炎環石神井句会」の事務局を引き受けた荒木は、ほぼ雑用は私あらきみほが担当していた。
 
 自由に俳句を作っていた私は、そのうちに、深見けん二先生の「花鳥来」と石寒太先生の「炎環」とでは、作品の作り方が違うことに気づいた。私が作った同じ作品を、同じように投句していたが、徐々に句会での選句の違いに気づき、苦しみはじめた。
 主観的だった私は、まず「客観描写」を身に付けたいと、深見けん二先生の「花鳥来」の道へ進んだ。
 
 句集『ガレの壺』は、深見けん二先生の「花鳥来」と石寒太先生の「炎環」で選んでいただいた中で、私自身で取捨選択した400句余りの句集である。

 この句集は、「朧夜のわたしにひそむ懐かぬ猫」の句で了っている。