第八百五十三夜 上村占魚の「蟻かなし」の句 

 春になり春の気配を感じた動物たちは、今まで冬眠していた穴から外をうかがいながら、もっそりと穴から出てくる。土の匂いも草の匂いも大空の匂いも、「おーい! 春になったよー!」と、呼んでいるみたいだ。

 「(○○)穴を出づ」という形は、冬眠していた動物たちの春の到来を表している季語(季題)である。

 今宵は、それぞれの動物たちの「穴を出づ」の作品をみてみよう。

■蟻

  蟻かなし穴出づる日も土を咥へ  上村占魚 『蝸牛 新季寄せ』
 (ありかなし あないずるひも つちをくわえ) うえむら・せんぎょ   「花鳥来」吟行句会風景

 「咥える」は、口に物を軽く挟んで支えることをいう。「かなし」は、食べ物を咥えては朝から日がな一日、蟻の巣の奥に棲む女王蟻のところにせっせと運んでゆくという習性を、人間の心持ちになって考えてみると「かなし」なのだ、ということか。
 
 「かなし」は、漢字では「哀し」である。蟻が悲しかったり哀しいと思っているのではないだろうが、人間から見ていると、そこまでしている蟻の働きぶりを、つらいのではないか、くるしいのではないかと、蟻の「せっせと食べ物を運ぶ習性」を「かなし」と思ってしまいますよ、という句意になるのだろう。

■蜥蜴 

  蜥蜴出づすでに尻尾の先切られ  高橋悦男 『蝸牛 新季寄せ』
 (とかげいず すでにしっぽの さききられ) たかはし・えつお

 蜥蜴は、捕まえられそうになった時、自分の尻尾を切リ離してスルスルっと逃げてゆく。こんな場面に出合ったことがあった。ふと地面を見ると、蜥蜴がいた。私は捕まえようなどとは考えもしていなかった。ただ、蜥蜴の尻尾の一部が美しい碧であったので見とれていただけだが、蜥蜴から見れば巨大な人間である。
 なんと蜥蜴は、その美しい尻尾の一部を切り離すや、さっと逃げ去った。
 
 掲句は、「尻尾の先切られ」であるが、蜥蜴は自ら尻尾を切り離して逃げるのだと思う。作者の高橋悦男氏が蜥蜴を見たときには、すでに尻尾のない状態であったので、誰かから逃れてきた蜥蜴であったのだろう。

■蛇

  蛇穴を出て水音をききにけり  三橋鷹女 『蝸牛 新季寄せ』
 (へびあなをでて みずおとを ききにけり) みつはし・たかじょ

 先日のテレビで、蛇は川にやってきてスルスルと水に入って泳ぎだした。
 
 掲句は、冬眠から目覚めた蛇は、まず水辺にやってきて水を飲んだのであろう。だが「水を飲む」とは詠まず、蛇が「水音をききにけり」と詠んだ。蛇にとっての生きている証が、まず水音を聞くことであることに少し驚いたが、この蛇は作者の化身でもあろうか。この蛇は素敵な感性をもっているようだ・・!
 
 「老いながら椿となつて踊りけり」のように、椿の花にもなれるのが鷹女である。
 
 第4句集『羊歯地獄』の自序に、次の詩がある。私の好きな一部を紹介させていただく。

 「一片を書くことは、一片の鱗の剥脱である
 一片の鱗の剥脱は、生きてゐることの証(あかし)だと思ふ
 一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に
 「生きて 書け――」と心を励ます
 
■熊

  熊穴を出て連山を従へし  今瀬剛一 『蝸牛 新季寄せ』
 (くまあなをでて れんざんを したがえし) いませ・ごういち

 出版社蝸牛社を経営していたころ、『秀句350選 7巻雪』の執筆依頼をお願いしに、運転手として私もご自宅へお邪魔したことがあった。茨城県北部になるだろうか、那珂川沿いの道を北上した記憶がある。ご自身が畑へ出て作業するわけではないが、見渡す限りの広い耕地であった。
 
 句意はこうであろうか。かつては熊狩に参加したこともあったかもしれない。また、春になって熊が穴を出るころ、山林で出合ったのかもしれない。立ち上がった熊の背後には山々が連なっていて、大きな熊が連山を従えている姿のように見えたという。

 季語「(○○)穴を出づ」の4態を取出して鑑賞してみた。