第八百五十四夜 小野華泉の「浅蜊掘り」の句

 4月17日の未明は、春満月であった。いつものように毎夜の犬の散歩にゆく私は、家から一歩出るや空を見上げた。一か所が眩しく縁取りされている雲があった。そこだけ異様なほどの輝きであったので、しばらく眺めていた。すると、雲の端から月が見えはじめ、雲が動くに連れて満月になったではないか。満月の大きさも、季節によって異なるが、4月の満月は、ピンクムーンと呼ばれる美しい月であるという。午前3時56分頃には丸さがピークであるというが、やはり起きることはできなかった。
 
 夕飯にお酒を少し飲む夫は、食後の一眠りを終えて、ラッキーなことに、玄関先に出て春満月を眺めたようである。

 今宵は、「浅蜊(あさり)」の俳句を見てみよう。

  引く潮にしたがひ浅蜊掘り進む  小野華泉 『ホトトギス新歳時記』
 (ひくしおに したがいあさり ほりすすむ) おの・かせん

 掲句は浅蜊掘りの様子。浅蜊掘りは、シャベルとバケツをもって、浅になった引き潮の砂地で掘ってゆく。「掘り進む」とは、一か所の砂地で掘り終えたら、引く潮につれて順に前へ前へと掘り進んでゆくことである。
 
 海は引き潮があり、満潮がある。引き潮だと安心していると、満潮に変わってしまい、波に飲まれてしまうこともある。

 浅蜊の思い出は、夫の実家のある島原半島の国見町でお盆休みを過ごした時である。夫の妹と近所の同級生だった夫の友人の島田さんと4人で、大きなバケツを持って有明海の遠浅の海岸で浅蜊を掘りはじめた。まあ採れること、採れること、小学校の遠足でも叶わなかった大量の浅蜊であった。しかも一粒一粒の大きいこと、茹で上がったときに気づいた浅蜊の身のふっくらと大きかったこと・・! これほど美味しい浅蜊を「たらふく」食べたことは初めてであった。

  浅蜊掘る太平洋を股のぞき  津田清子 『現代歳時記』成星出版
 (あさりほる たいへいようを またのぞき) つだ・きよこ

 そうそう、海岸にお尻を向けるのはお行儀が悪いですものね、お尻は太平洋の海へ向けて、掘りましょう!

  新婚が祖父をもてなす浅蜊汁  伊藤トキノ 『新歳時記』平井照敏編
 (しんこんが そふをもてなす あさりじる) いとう・ときの

 新婚の頃は、夫のお父さんである祖父が、初めて様子を見に訪れてきた時などすごく緊張したことを私も経験したことがある。安月給の身であり、台所仕事も慣れていない。スーパーや市場に行って何を買おうか、何を食べてくれるかしら、と悩んだ。
 
 魚屋の前を通ると、威勢のよく、「奥さん! 浅蜊はいかがですか? 新鮮なおいしい浅蜊汁ができますよ!」という声がかかった。
 祖父をもてなす食卓に浅蜊汁が加わった。

 今思うと、息子の嫁が一生懸命に作ってくれたものは、すべて美味しい、有り難い、と食べてくれたように思う。

  唇見せて浅蜊の殻は割れてをり  日原傳 『新歳時記』平井照敏編
 (くちみせて あさりのからは われており) ひはら・つたえ

 「唇見せて」にちょっと驚いた。「舌出して」という作品も見た。料理をする前の浅蜊は、砂を吐き出させるために水に漬けておくのだが、掲句は少し違っている。この浅蜊はすでに死んでいた。殻が割れているから、殻を明けたり閉じたりして息をすることはできない。唇を出したまま死んでいたのだ。