第八百五十五夜 飯田龍太の「蘇芳の花」句

 紫荊、花蘇芳という漢字の「はなずおう」と呼ぶ花に出合ったのは、東京板橋区の赤塚植物園であった。今でもくっきり思い出すことができるのは、紫荊の花の独特の咲き方であった。
 
 ちょうど今頃に咲く花で、最近のNHKのトーク番組のテーブルの両側に活けてあったのが花蘇芳であった。政治やら世界情勢など幅広いテーマを5人の識者が語る番組である。黒味を帯びた花蘇芳の深い紫色の小花が似合っていた。

 中国原産のマメ科の落葉低木で、高さが3メートルほどになる。まだ葉の出ない4月ごろ、紅紫色の小形の蝶形花が枝にかたまって咲く。庭木にしたり、切り花用に栽培される。日本へは古い時代に入り、名は花の色が蘇芳染めの色ににているところからきている。漢名を紫荊という。

 今宵は、「紫荊」「花蘇芳」の例句を紹介しよう。

  いまはむかしのいろの蘇芳の花ざかり  飯田龍太 『現代歳時記』成星出版
 (いまはむかしのいろの すおうのはなざかり) いいだ・りゅうた
 
 蘇芳とは染料となる植物の名前で、蘇芳の芯にある色素を明礬(みょうばん)や灰汁を使って発色させたものです。明礬焙煎では赤に、灰汁で赤紫に、鉄では暗紫になるという。
 
 掲句で飯田龍太の詠みたかったことは「蘇芳の花ざかり」の9文字の、それだけである。だが作者は、敢えて「いまはむかしのいろの」という9文字を先の一句に置いた。「いまはむかしのいろ」とは、「今となっては、もう昔のことだが」という意味であるが、一句の中で、さほど意味のある強い言葉というわけではない。
 
 句意は、今では蘇芳色という言葉を用いることもないが、今まさに、その赤紫の蘇芳の花が咲きほこっているのですよ、となろうか。
 
 一句の中に、なくてもよい言葉を、置いて言葉を整えることがあるのですよ、と師の深見けん二に教えていただいた。先生の作品にあるゆったりした調べは、意図して生まれる調べでもあったのだ。

  荻窪にまだ百姓家花蘇芳  富安風生 『蝸牛 新季寄せ』
 (おぎくぼに まだひゃくしょうや はなずおう) とみやす・ふうせい

 掲句の花蘇芳は、畑に植えられた花蘇芳であろう。見たところは素朴な花の花蘇芳だが、わが家にも植えていないし、庭に植えてある家をあまり知らない。

 私が大学生の頃まで住んでいた杉並区正保町町の家は、住宅地であるが畑は多かった。母は、商店が両側に並び新鮮な魚も肉も野菜も揃っている賑やかな荻窪の町が好きで、片道30分の荻窪まで、バスに乗ってよく出かけていた。

 杉並区荻窪は、今では大きな街並みとなっているが、富安風生は池袋に住んでいた戦後の荻窪は、駅の周辺の商店街を離れれば、すぐ住宅街ですぐに畑がひろがっていた。その一画に、ひっそりとした風情で花蘇芳は植えられていたのであろう。

  みくじ結ひ易くて結はれ花蘇芳  美馬風史 『八重潮』『ホトトギス新歳時記』
 (みくじゆいやすくて ゆわれ はなずおう) みま・ふうし
 
 花蘇芳は花の後に葉がでてくる。花の時期には花と花の間には隙間のように茎だけが見えている。それを、「おみくじを引いたあとに、結わえておくのに良さそうだ!」と、美馬風史さんは感じたのだ。

 美馬風史は明治42(1909)年の生まれ。