第八百五十八夜 上ノ畑楠窓の「春日」の句

  外人に話した
  
 四季の風物を讃美する、といふ心持ちは、多少づゝ誰もが持つてゐる。併し乍ら、専ら四季の風物を讃美する人の集団といふものは余りない。
 四季の風物を讃美するといふことは、文学の中に多少はある。併し乍ら特に四季の風物を讃美することを目的とした文芸は余りない。
 わが俳句は特に四季の風光を讃美する為に発達してきた詩である。わが俳人は四季の風物を讃美する為に詩を作る集団である。
 西洋の文芸にさういふ傾向のものはない、といふ事の為に、折角日本に存在してをる特別の文芸を軽蔑するには当たらないではないか。
 私は二十年余り前に、短い日数で、国外に遊びに出かけた時は、何の目的もないのであつたが、若し機会があつたらこの日本に存在してをる俳句といふ自然詩を多少とも紹介しようと考へた。図らずも英国のペンクラブの招待を受けた時にその事を話した。フランスのハイカイ詩人の会合の席でも話した。ベルリンの日本学会で、ベルリン大学の教師や学生の前でもその話をした。日本に俳句といふ自然礼讃の詩のある事を話した。
 外人が合点したかどうかはしらぬ、併し私は誇りを以て話す機会を得た事に満足した。(『虚子俳話』より)

 今宵は、「春日(はるひ)」の作品を見てみよう。

  春日今沈むコルシカサルヂニア  上ノ畑楠窓 『渡佛日記』
 (はるひいま しずむコルシカ サルヂニア) かみのはた・なんそう
                   
 作者の上ノ畑楠窓(かみのはた・なんそう)は、ホトトギスの俳人であり、豪華客船「箱根丸」の機関長でもあった。船長の次の職位であり、船上の実務の長である。

 昭和11年2月16日、上ノ畑楠窓の熱心な勧誘により、高浜虚子は「箱根丸」で、6女の章子(後の上野章子)を同道し、かねてより念願の渡仏の旅に出発した。
 虚子は、10年前に音楽を学ぶためにフランスに留学中であった次男の池内友次郎に会えるし、章子は大好きな兄と会えるのだ!
 また、日本の俳句を世界に広めたい気持ちもあっての海外旅行でもあった。フランスやドイツやイギリスでも、海外の駐在員たちが少しずつ俳句の種まきをしていた。その様子も知りたかったし見たかった。
 横浜港を出発して40日あまり、スエズ運河を抜けると地中海、コルシカ島やサルヂニア島が見えてきた。
 
 あと少しでフランスのマルセイユに到着する。ここで、虚子一行は下船し、上ノ畑楠窓としばしの別れとなる。虚子と章子は友次郎と過ごし、上ノ畑楠窓はオランダの港で、「箱根丸」で虚子一行と日本へ戻る準備をした。

 虚子の初めての海外旅行は、往路40日、欧州滞在40日、帰路40日という120日に及んだ。箱根丸にはホトトギス主宰の虚子が同船していることもあって、いつの間にか船長室で、上ノ畑楠窓主催の洋上吟社という句会が作られ、定期的に開催されるようになっていた。船長も機関士も船医もスチュワデスも、作家の横光利一も参加した。
 
 掲句は、スエズ運河を抜けた地中海の光景である。コルシカ島やサルヂニア島が見えてきた頃、ちょうど、晩春の夕日が沈もうとしていた。赤々と燃える夕陽が島々をつつんでいた。
 もうじきマルセイユに到着するのだと、港には次男の友次郎が待っているだろうという、安堵と期待が、真っ赤な「夕日今沈む」の光景から伝わってくる。