第八百五十九夜 中原道夫の「春愁」の句

 花が咲き、鳥が鳴き、風が光る。暖かくのどかでさわやかな春は、身も心も明るくのびやかになる。気力が満ちる。だが反対に、何か憂鬱で気分が沈み込むこともある。そんな心の移ろいを、「春愁」とか「春温を病む」などという。
 「春温」は、医学で用いられる言葉で「しゅんおん」」と読むそうで、平沼洋司著『気象歳時記』(蝸牛社刊)で初めて知った言葉である。

 似ている言葉に「春愁」と「春陰」がある。字面を眺めながら思ったことは、春は、何かの始まりであることが多いことから、ふっとかすめる淡い翳りであり、孤独な、悲しみも含む物思いのようなものなのではないだろうか、ということである。

 今宵は、中原道夫の「春愁」の作品を見てみよう。


  鳥の眼の春愁洛中洛外図  中原道夫 『顱頂』
 (とりのめの しゅんしゅう らくちゅうらくがいず) なかはら・みちお
 
 「洛中洛外図」に描かれているのは京都の町の様子である。鳥の眼となって、高いところから見下ろしたように、京都の有名なお寺や神社、あるいは御所や武士の屋敷、様々な商売をしている店までも、細かく捉えている。さらに、そこに集まる人々の動きも詳しく描かれているところが凄い。図を観ている私たちが、まるで鳥になり鳥の眼となって、高所から眺めている具合なのである。あるいは、さらに高い雲間から見る光景を覗き見しているように描かれている。
 
 だが、掲句の季語は「春愁」である。しかも「鳥の眼の春愁」なのだ。鳥の眼は、洛中洛外図の人々の世界を俯瞰している。懸命に働く姿も、うち騒いでいる姿も、鳥の眼には哀愁を感じさせるものであったのだ。

 この作品は、深見けん二主宰の「花鳥来」の初期の頃、私も俳句を始めて5年目くらいであったろうか、「中原道夫さんの俳句の鑑賞をしてみませんか?」と、提示されたのが「鳥の眼」の句であった。だが直ぐに、中原道夫氏の作品の視点鋭さと角度の違いを見せつけられることになった。小句会「青林檎」が終えた雑談の合間であったので、「鳥の眼ってどういうことなのだろう?」と、皆で話したことを思い出す。
 
 当時の文章の一部を紹介してみよう。
 
  初蝶は正餐に行くところなり 『顱頂』
 (はつちょうは せいさんにゆく ところなり)

 この作品が、第2句集『顱頂』の中で一番好きな句である。昔、西欧では、少女がある年齢になると社交界へのデビューとしてパーティーへ招かれるようになる。最初は真っ白なドレスを着て、胸を高鳴らせて、どきどきしておどおどして出掛けてゆく。
 道夫氏は「初蝶」からこんなイメージを得た。そこには「正餐」という美しい言葉が添えられた。

 中原道夫氏の俳句は、〈飛込の途中たましひ遅れけり〉のような、知性のひらめきの句や言葉の目眩しの句が多い。一瞬錯覚しそうになるが、よく見てみると、じつに対象を深く観察し、季題の本質に迫っている。把握した本質からの発想表現なのであった。

 中原道夫氏は有名なグラフィック・デザイナーでもある。お仕事柄でもあるのだろうが、古美術にも造詣が深い。仕事の作品を仕上げてゆく作業過程と、俳句の具象化として捉える作業と似ているのだろうか。

 中原道夫氏の作品は、作者が浮き彫りになる主観が強い句であると思えたが、詠み込んでいるうちに、そうではなく違うのではないか、と思えてきた。それは何なのだろうか。

 私の好きなアメリカ文学の、黒人作家のラルフ・エリソンに、『見えない人間』という小説がある。主人公は黒人で、奴隷解放はされていて自由であるはずなのに、白人からは、今も同じ人間として見てもらえていない存在であった。
 黒人は、白人からは非実存的な「見えない人間」なのである。

 中原道夫は、作品を提示し、作品の力で勝負しているデザイナーとしての目、対象に食い入っている自分でありながら、作者自身を見せない「見えない人間」となっている目を持っている。
 それが中原道夫の<俳句の目>なのかもしれない。
 
 「花鳥来」へ書いた原稿は、ぎりぎりセーフだと思ってくださったのであろうか、中原道夫さんから御礼状が、深見けん二先生宛に届けられていたのを拝見した。