第八百六十二夜 深見けん二の「春の宵」の句

 早起きをした今朝の散歩は、50メートルほどの雑木林はうっすらと霞がかかり、しばらく先に広がる畑は大地からは霞が立ちのぼっているではないか。畑道も野原でも、雑草には露が降りていて朝日に輝いていた。しかも人っ子一人いない、誰にも会わない朝であったのだ。
 
 守谷市は東京の秋葉原まで30分で行ける近さと便利さのある街ではあるが、どこの大通りも、一歩奥に入ると、東京という都会にはない自然に溢れていることを感じる。
 
 今宵は、「春の宵」の作品をみてゆくが、春の夕には「誰彼時」(たそがれどき)というゆかしさの時間帯もある。

■1句目

  かかる世も月まどかなる春の宵  深見けん二 『もみの木』
 (かかるよも つきまどかなる はるのよい) ふかみ・けんじ

 掲句は、2020年の作である。御高齢の深見先生ご夫妻は、グループホーム「もみの木」に入所されていた。上五の「かかる世」を2019年の年末あたりからじわじわと流行りはじめた感染症コロナの恐怖から、東京への外出は、必要な場合を除いてはほとんどなくなり、その頃から多くの人は「かかる世になったなあ」と感じていた。
 
 このような世になっていても、月は変わらず天空を照らしている。だが月見のために、これまでのように外へ出掛けてゆくことはせず、窓を開けて、奥様と二人で、まあるい月の上がっている空を見上げている、そんな春の宵なのですよ、となろうか。

■2句目

  公達に狐化たり宵の春  与謝蕪村 『蕪村俳句集』
 (きんだちに きつねばけたり はるのよい) 

 句意はこのようであろう。なまめかしくうるおいのある夜のことだ。一人歩いていると貴公子らしい人に出会ったが、あれは狐が化けていたに違いない、となろうか。

 公達とは、親王や貴族など身分の高い家柄の青少年のこと。すれ違う人が若い貴公子であれば、一段となまめかしいであろう。

■3句目

  眼つむれば若き我あり春の宵  高浜虚子 『五百句』
 (めつむれば わかきわれあり はるのよい) たかはま・きょし

 「春の宵」は、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』によれば、「春の日が暮れて間もないころをいう。日が落ちてたちまち夜となる秋とは遠い、どこかなまめかしく、そぞろ心をさそわれる。「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」とは有名な詩句で、広く知られている。

 昭和4年、虚子55歳の作である。虚子にとっての「若き我あり」の時期とはどの時代であろうか。もしかしたら、上野の山を走って病床へ駆けつけた病床の正岡子規を8年間も看病しつづけた日々・・夢中の日々だったからこそ、「眼つむれば若き我あり」なのであろうかと思う。

■4句目

  春宵の紐ぞろぞろと蔵の中  吉田さかえ 『山の村』
 (しゅんしょうの ひもぞろぞろと くらのなか) よしだ・さかえ

 夕暮れてから、蔵に入って着物の帯紐をさがしていると、あるはあるは、美しい紐がぞろぞろとある。いちばん似合うのはどの紐かしらと迷うほどでしたよ、となろうか。きっと、春の宵という夢のような時間が、美しい帯紐をさがしている時間であることが、いやましてなまめかしさを増幅させるのであろう。

 吉田さかえさんは、昭和14年、三重県度会郡大紀町の生まれ。「海程」「木」「未完現実」等に所属。現代俳句協会会員、中部日本俳句作家会会員、三重県俳句協会会員、三重県芸術文化協会会員。昭和59年海程新人賞受賞。平成2年三重県文学新人賞受賞。平成3年、第9回現代俳句協会新人賞。