第八百六十五夜 清水哲男の「春の嵐」の句

 昨日は、久しぶりの雨風の強い夜となった。ノエルの、一日の最後の散歩であり、翌朝の散歩まではいつもオシッコやウンチを我慢できている犬なので、寝る前の散歩はなんとしても済ませたい。杖をつくお母さんになって2年目となるが、不思議となんとか散歩が出来ている。
 いざという時は、夫か娘にしてもらいたい気持ちもあるが、犬の散歩は、私の決めた約束事なので、雨でも少々の風でもつづけている。
 
 春は油断ができない。温かい日は夏のように暑い一日になるし、涼しい日にはセーターも上着も欲しくなる。ちょうどよい日が少ないので、毎日が油断してはいけないと心している日々が、春ではないであろうか。

 今宵は、「春嵐」の作品でみてみよう。

  詩人の忌春の嵐は木の根から  清水哲男 『秀句350選 8 風』蝸牛社刊
 (しじんのき はるのあらしは きのねから) しみず・てつお

 掲句は、大串章編著『秀句350選 8 風』蝸牛社刊に、清水哲男さんの作品が収められていた。大串章氏による鑑賞をそのまま転載させていただこう。
 「風は山奥の洞穴から吹き出してくる、と大昔の人々は信じていた。今も地方に行くと、風の神の住処として洞穴を祀ってあるところがある。そこで彼らは五穀豊穣を祈り、無病息災を願ったのだ。現代の詩人・清水哲男は、春の嵐は木の根から吹いてくるという。その理由として「詩人の忌」を挙げられては信じないわけにはゆかぬ。」【春の嵐・春】

 「春の嵐」の作品を探していて、清水哲男さんの掲句を、私がかつて蝸牛社で編集した『秀句350選8 風』の中で見つけた。清水哲男さんのホームページ「増殖する俳句歳時記」は、私もネットで調べ物をするので、よく存じ上げていた。
 私のブログ「千夜千句」の俳句の鑑賞するときに、参考にさせていただくこともあった。

 今日の清水哲男さんは、参考にするためではなく、例句の作家としての登場なので、嬉しくなって、久しぶりにホームページ「増殖する俳句歳時記」を検索した。書き手は別の方になっていた。もう少し調べてゆくと、つい最近の、2022年3月7日に、腎不全のため東京都新宿区の病院で亡くなられていたことを知った。
 
 今宵のブログ「千夜千句」に引用した清水哲男さんの作品の、上五は「詩人の忌」である。そして最近亡くなられたばかりの清水哲男さんは詩人であったから、この巡り合わせに私はひどく驚いた。
 
 偶然であったとしても、私がこの日に書こうと準備していた中で、詩人である清水哲男さんの俳句作品は、上五は「詩人の忌」である。まさに掲句のように、春の嵐が吹き荒れた木の根の洞穴に、ひょっと吹き込んでいた、そして清水哲男さんが見つけた幸であった。また私にとっても幸であった。

 「清水哲男(しみず・てつお=詩人)さんは、2022年3月7日、腎不全のため東京都新宿区の病院で死去、84歳。東京都出身。葬儀は故人の遺志により行わないという。
 1975年に『水甕座の水』でH氏賞、1994年に『夕陽に赤い帆』で萩原朔太郎賞と晩翠賞。ラジオパーソナリティーの他、1996年から平成16年までホームページ「増殖する俳句歳時記」を運営するなど、俳句の評論でも活躍した。」という新聞記事をネットで知った。合掌。