第八百六十七夜 山岸竜治の「クローバー」の句

 「クローバー」をよくよく眺めたのは、茨城県取手市に転居してからだと思う。まず、休日になると朝から晩まで、天の広さと大地の広さの中を心ゆくまで、車で動き回っていた。東京都との堺には日本の三代河川の利根川が流れているだけとは言え、天空の高さ、大地の広がりには圧倒されるばかりであった。

 一つ目は、25年前の取手市からふれあい道路を走ると、芒原というほどの広大な空地があった。そこが、現在は西友を中心に商業タウンとして生まれ変わった。その初期の頃には、現在の駐車場は半分以上は原っぱであったように記憶している。というのは、仕事を終えて退屈な私たちは、西友で買い物がてらに、この原っぱで遊んでいた。
 
 夜のクローバーは昼間となんだか違っている! 葉が尖っている・・! しゃがみ込んで、見ると、クローバーの3枚の葉がピタッとくっついているではないか・・! 当時は60歳をとうに過ぎていたが、このような姿のクローバーを見たのは初めてであった。四つ葉のクローバーを見つけたのは、また別の場所であった。
 
 菅生沼まで3、40分のドライブコースであった。この菅生沼から流れる川の土手が、四つ葉のクローバーを見つけた場所であった。今も押し花として、歳時記や聖書に挟んである。たまたま開いたページに四つ葉のクローバーを見つけると嬉しくなる。
 
 今宵は、「クローバー」「うまごやし」の作品を紹介してみよう。

  踏みにじる僕を射返せクローバー  山岸竜治 『気象歳時記』蝸牛社
 (ふみにじる ぼくをいかえせ クローバー) やまぎし・りゅうじ

 花畑で花を踏んづけてゆく人はいないのに、クローバーも花に分類される植物なので、クローバーの野原は、まるで絨毯の上を歩くように平気で踏んでゆく。
 
 掲句では、ぐちゃぐちゃに踏まれてたクローバーが怒っていると感じた作者は、踏んでゆく僕に怒りを感じているのならば、クローバーよ、僕に向かって矢を放ちなさい、睨みつけなさい、と言っているのだろうか。
 
 「射返せ」は強い言い方ではあるが、なにしろ、相手は花のクローバーであり、どちらかと言えば優しさの花である。そのクローバーに、このような強気の行為を勧めているところが、じつに素敵だ。蝸牛社で『気象歳時記』の編集に携わッタ時、文の最後にこの句を添えることができて、ヤッターと感じたことを覚えている。

 山岸竜治さんは、歌人(近藤芳美門下)で、俳人(世界俳句協会、「吟遊」所属)である。

  踏んだかもしれぬ四つ葉のクローバー  あらきみほ 俳誌「花鳥来」 平成11年
 (ふんだかもしれぬ よつばの クローバー) あらき・みほ

 よきことが、自分にはなかなか巡って来ないように感じることがある。見つければ幸運に巡り合うと言われる、四つ葉のクローバーを、私はきっと何処かで、知らないうちに踏んでしまったのかもしれない、きっとそうなんだわ、という思いの中で詠んだ句である。
 
 案外にすらっと生まれた句であった。

  蝶去るや葉とぢて眠るうまごやし  杉田久女 『杉田久女句集』
 (ちょうさるや はとじてねむる うまごやし) すぎた・ひさじょ

 うまごやしはクローバーの別名。うまごやしもクローバーも、明治時代の後半ごろ、牛や馬の牧草として日本に入ってきた帰化植物であるという。
 
 掲句は、中七の「葉とぢて眠る」から、クローバーの葉が閉じはじめる夕方の光景であろう。うまごやしに蝶が止まって蜜を吸っていたが、夕暮になり、蝶は去り、うまごやしも3枚の葉を閉じて眠る態勢に入りましたよ、という句意である。