第八百六十九夜 山口青邨の「リラの花」の句

 現在の家に越してきたとき、玄関わきのスペースに、リラの花を植えようと考えた。ライラックともいう。私は花瓶に活けるのは好きだけど育てるのは苦手・・夫の方は、畑を借りても自分の手で育てるのが得意なので、夫に任せることにした。
 近くの巨大スーパーのジョイフル本田は、駐車場の脇に大きく植木のコーナーがある。ここでライラックの植木を2本購入し、念願のリラの花を玄関わきに植えることができた。翌年も、その翌年も仄かな香りと薄紫の可憐な花をたのしんだが、徐々に、枝の花が少なくなり、ついに咲くことはなくなった。残念だけど、リラの花を育てることは諦めた。
 
 日本では東北や北海道で育つと言われているので、関東地方は難しかったのだろう。

 リラの花は、英語ではライラックといい、英文学やフランス文学によく登場する花であり、私にとっても憧れの花であった。

 今宵は、「リラの花」の作品を紹介してみよう。

  舞姫はリラの花よりも濃くにほふ  山口青邨 『雪國』
 (まいひめは リラのはなよりも こくにおう) やまぐち・せいそん

 山口青邨は、昭和11年12月、選鉱学研究のため、ドイツおよびアメリカに留学を命じられる。この年、第二随筆集『春龍秋龍』を龍星閣から刊行している。
 
 青邨の「ライラック」の句は、句集に発表されているのは12句で、次の句などがある。

  リラの花をとめは折りて家に入る  『雪國』昭和12年
  北欧の稿書きつづくリラの雨  『不老』昭和42年
  ライラック咲けば伯林のことなどを  『日は永し』昭和62年
  
 白鳳社刊の現代の俳句8巻『自薦自解 山口青邨句集』に収められている掲句の文章を、掲載させて戴く。
 
 ベルリンの五月六月はよい、北国の遅い春が来たかと思うとまたたくまに過ぎて新緑の初夏が来る。リンデンやカスタニエンの若葉、そしてその花、リラも咲く、人は軽衣をまとい、腕もあらわに街に出る。ベルリンにはカカドとかフェミチなどという一流の踊場(キャバレー)があった、わたしもすこしはそういう処にも出入した。私は踊らず、人の踊るのを見て、ビールやワインを飲んだ。テーブルに来る踊子と話をすることが楽しかった、方々の国を歩いている踊子は話が面白かった。踊子などとは言わないで舞姫という古風な言葉がふさわしいと思われる品をもっていた。
 舞姫という言葉は鴎外先生の作品から飛び出して来たのかもしれない。リラの薄紫の房がふさふさと咲くのは北欧的情緒のこまやかさを感じさせた。リラは淡い香をもっている、それがかえってゆかしかった。女のにおいはもちろん濃く、白粉も香水もにおった、体臭もある、色彩感も人の心もまじっている。

  リラほつほつソフィに十日ほど逢はぬ  小池文子 『巴里蕭條』
 (リラほつほつ ソフィにとおか ほどあわぬ) こいけ・ふみこ

 句意は、リラの小さな莟がほころんできた。そう言えばソフィーに、もう10日ほども逢っていないなあ、となろうか。

 小池文子は、日本では1942年に石田波郷の「鶴」に所属、森澄雄主宰の「杉」同人。昭和32年、フランスに渡り、フミコ・ベローニとなってパリに住み続け、「パリ俳句会」を主宰。この句は、リラの花の句を始めて知った句であり、私の愛誦句の一つである。正確に句の場景は掴めないが、哀愁に満ちた調べのよさによって、不思議に惹きつけられる。
 『巴里蕭條』は、パリ在住16年の歳月の結晶であるという。
 
 ソフィに逢わなくなって十日ほどというのは、長くもなく短くもないかもしれない。よい香りのリラの花が、ふっと友のソフィを思い出させたのであった。