第八百七十二夜 京極杞陽の「杜若」の句

 「杜若」も「燕子花」も、かきつばた、と読む。毎年のように夫は畑から刈ってくるのに、「かきつばた」だろうか「あやめ」だろうかと、今年も確認をしてしまった。だが、じつに姿かたちの美しい花である。
 
 第五百四十三夜で、鈴木六林男の〈天上も淋しからむに燕子花〉の作品を取り上げていた。その折に、燕子花、あやめ、花菖蒲の違いを書いていた。毎回のようにあらっと思うので、今回も書いておこうと思う。
 
 ① 花びらの根元の模様
  燕子花(かきつばた):白い模様がある
  あやめ:「文目」の由来の網目模様がある
  花菖蒲:細長い黄色の模様がある
  
 ② 葉脈
  燕子花(かきつばた):葉脈が目立たず、葉の幅が広い
  あやめ:葉脈は目立たず、細長い
  花菖蒲:葉は面に1本、裏に2本の葉脈がある
  
 ③ 生えている場所
  燕子花(かきつばた):湿地に群生
  あやめ:畑や草原など乾燥した場所に群生
  花菖蒲:乾燥地や湿地に群生・花色は紫ほか、ピンクや白、ブルーもある
 
 今宵は、まず「かきつばた(杜若、燕子花)」の作品をみてゆこう。

  業平はいかなる人ぞ杜若  京極杞陽  『六の花 京極杞陽句集』
 (なりひらは いかなるひとぞ かきつばた) きょうごく・きよう

 まず、京極杞陽の句意はこうであろう。
 
 杜若(かきつばた)を眺めていると、どうしても在原業平の有名な和歌に思いを馳せてしまうのですよ。言葉の冒頭を連ねてゆくと、「か」「き」「つ」「ば」「た」となっていますから、となろうか。
 「唐衣」は、「着る」にかかる枕詞である。「つま(妻)」は、衣の袖を意味する「褄(つま)」の掛詞である。

  唐衣 きつつなれにし つましあれば
       はるばる来(き)ぬる 旅をしぞ思ふ  在原業平

 つぎに、在原業平の歌意は、こうであろう。

 これまで何度も着てなじんだ唐衣のように、長いこと慣れ親しんだ妻が都にいるので、その妻を残したまま はるばる来てしまった旅のわびしさを、しみじみと思っているのですよ、となろうか。

 在原業平とは、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人、平城天皇の孫、六歌仙・三十六歌仙の一人である。
 『伊勢物語』は全百二十五段からなり、在原業平の物語であると古くからみなされてきているが、主人公の名は明記されていなくて、冒頭は必ず、「むかし、男」また「むかしおとこありけり」となっていることでも知られる。

  杜若語るも旅のひとつかな  松尾芭蕉 『笈の小文』
 (かきつばた かたるもたびの ひとつかな) まつお・ばしょう

 この句は、伊賀上野から江戸へ向かう旅の句は「笈の小文」に収められている。当然のことながら、在原業平が主人公であると言われる『伊勢物語』を思い出させてくれる。
 
 杜若の咲いている4月、かつて伊賀上野に住んでいた、伊賀の蕉門と呼ばれる保川一笑宅を、大坂の屋敷に訪れた。屋敷には杜若が咲いていた。芭蕉と一笑が語り合う中で、芭蕉が道中に見てきたばかりの杜若へ、どうしたって話題は杜若になってしまう。

 この句の前書には、「大坂にて、ある人のもとにて」とあるが、ある人とは、伊賀の蕉門の保川一笑である。