守谷市のわが家の住むあたりも畑が広がっているが、麦畑が広がっているのは、川沿いの街道をつくば市へ向かって北上した辺りに多い。
今宵は、「麦」の作品をみてみよう。
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子は母と麦の月夜のねむい径 長谷川素逝 『現代俳句歳時記』角川春樹編
(こはははと むぎのつきよの ねむいとき) はせがわ・そせい
麦は西アジア原産のイネ科の越年草。古代エジプトで紀元前5000年ごろから栽培された麦は、中国を経由して縄文あるいは弥生時代に日本へたどりついた。秋に撒いた種は、4月半ばには麦穂を出し、6月には熟れきった黃褐色の麦畑が広がる。
掲句の光景は、たとえば昭和20年生まれのわが家の、銭湯に行った帰り径かもしれない。当時の母親はなにもかも手作りであったので時間はいくらあっても足りないほど忙しかった。また、自宅に風呂場のある家は少なくて、小学校低学年のころは、銭湯に行っていたことを思い出す。家事が終えた後、わが家はお隣のアッコちゃん親子と一緒に銭湯に行っていた。
銭湯で温まると小さな子たちはもう眠くてたまらない。母に手をつながれて子は月夜の径を歩いている。銭湯へ行く道々も、一画に麦畑がのこっていた。どこか、黄麦の匂いは銭湯帰りの身体の匂いと似ていたようだ。
第五百五十五夜で既に、長谷川素逝のこの作品を紹介をしていた。例句を探す時、毎回かなりの時間をかけているが、好きな作品はどうしても重なることがあるが、鑑賞は書く時の気分や思い出す場面も異なっていたりするのでそのまま書いておくことが多い。
たとえば、前回の第五百五十五夜の鑑賞を次に紹介してみよう。
明治30年生まれの長谷川素逝の、子どもが幼い時期というのは昭和の初期の頃であろう。今の時代よりも麦畑は多かったと思われる。「麦の月夜」とは、きっと黄熟した麦秋に月光が射していて、うっとりするような夜道であったと想像してみるとさらに楽しくなる。子を寝かせる前の散歩で、赤ん坊かもしれない。抱かれているうちに月光と麦秋の匂いで、子は今にも寝落ちそうである。
私も、「麦の月夜」を散歩してみたくなった。
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月追うて日の上りくる麦を刈る 安藤老蕗 『ホトトギス雑詠選集』夏の部
(つきおうて ひののぼりくる むぎをかる) あんどう・ろうろ
『ホトトギス雑詠選集』に見つけた安藤老蕗さんの作品に惹かれたが、さて、名前の「老蕗」はなんと読むのだろう。困った私は、深見けん二先生の下で、最初から結社誌「花鳥来」と小句会「青林檎」で学んでいた仲間の小泉洋一さんにメールで訊ねた。
ホトトギス関係のことを長いこと研究してきているから、今回も、香川県立図書館で確認して返事してくださった。
① 安藤老蕗氏は香川県の人。
② 名の読み方は「あんどう・ろうろ」。
③ 句集に『草の実』がある。
鑑賞してみよう。
この作品に惹かれた理由は、上五中七「月追うて日の上りくる」という天の描写であった。月の満ち欠けの周期はおよそ29・5日であるという。地球の自転はおよそ24時間で、私たちにとっての1日である。
安藤老蕗さんが、朝起きて麦を刈りに出る時間は同じでも、見上げる月の位置は少しずつズレていっているのだ。
これが、月追うて日の上りくる、であった。
畑仕事をしている方にとっては、天候を左右する太陽とともに月の位置も重要なのであろう。