第八百七十三夜 木附沢麦青の「母の日」の句

 平成17年8月20日、母が亡くなって17年目、父が亡くなって21年目になる。父はどこの結社に属するでもなく、永いこと気ままに志解井司の俳号で俳句を詠んでいた。母を詠んだ句に〈苧環(おだまき)や四つ違ひは死ぬるまで〉がある。とても仲がよかった。苧環とは糸繰草ともいう。
 
 「母の日」だったか、私は母に訊ねたことがあった。
 「お母さんは、娘の私よりもお父さんのことがずっと好きでしょう?」
 母は、にっこりして頷いた。
 
 わかる! 無口で穏やかな父であったから・・!
 今、わかる! 

 今宵は、「母の日」の作品をみてみよう。

■1句目

  母の日の朝日大きなまま昇る  木附沢麦青 『現代歳時記』成星出版
 (ははのひの あさひおおきな ままのぼる) きつけざわ・ばくせい 

 朝日が大きく見えるのは、茨城県に越してきてからのような気がしている。東京では、地平線はドライブで暫く走らないと見ることは出来なかった。
 
 玄関を出て、左手を見ると、太陽が一直線に昇ってくるのがわかる。薄い橙色からだんだんに濃くなるにつれて朝日も大きく見えてくる。かなり早起きをして犬の散歩をしているから、朝の太陽にも逢うことができる。
 
 夜のノエルの散歩も私の係で、月の位置や星の位置も、徐々に詳しくなってきている。誰もが知っている一等星ばかりだが。

■2句目

  母の日の子となるいとけなき母よ  田中朗々 『現代歳時記』成星出版
 (ははのひの ことなる いとけなきははよ) たなか・ろうろう

 この作品の「子となるいとけなき母」とは、母には作者の朗々さんから見れば祖母がいて、祖母から見れば母は可愛いあどけない子となる日が「母の日」なのかもしれない。すこしややこしくなるが、「母の日の子」とは、何歳であろうと、母にとっては子なのであろう。
 
 「いとけなき」は、古語では「いとけなし」で、無邪気でかわいい、という意味である。

■3句目

  母の日が母の日傘の中にある  有馬朗人 『新歳時記』平井照敏編
 (ははのひが ははのひがさの なかにある) ありま・あきと

 解釈はこうであろうか。今日は母の日。五月半ばの日差しは強い。久しぶりで母を連れ出してレストランで会食をしようということになった。待ち合わせのレストランの近くで、向こうから歩いてくる母を見た。日傘を差している。
 
 景はこのようであると思われるが、表現がユニークだ。母の日の母が、日傘を差してやってくる。すなわち、「母の日が母の日傘の中にある」、なのである。母が日傘の中にいるのであるが、有馬朗人は、「母の日傘の中にある母」こそが「母の日」であると直感した。

 夫亡きあとも、母は、俳人として凛とした姿で一人生きてきた有馬籌子であった。

 有馬朗人は、物理学者、俳人、政治家であった。俳人としての有馬朗人は、山口青邨に学んだ俳人で、青邨亡き後は「天為」主宰者。1930年9月 大阪府住吉区に父、有馬丈二(俳号、石丈)、母、籌子(かずこ)の長男として生まれる。両親ともに俳人。母の有馬籌子は青木月斗が創刊した「同人」の主宰も務めた。妻も俳人有馬ひろこである。