第八百七十六夜 深見けん二の「坂」の句

  別の地平線     萩原朔太郎

 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるじやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がそうである。坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだだらうか。理由はなんでもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を守ることによつて、それの限界にひらけるであらう処の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものの浪漫的なあこがれを呼び起す。(『猫町 他17篇』より)
 
 今宵は、季語ではなく「坂」を詠み込んだ作品を紹介しよう。

■1句目

  坂道にかかる日傘を持ち直し  深見けん二 『余光』
 (さかみちに かかるひがさを もちなおし) ふかみ・けんじ 
 
 夏の日差しのなか、日傘をさしてゆく女人が坂道にかかったところで、持っていた日傘を、やおら反対の手に持ち替えた。ただそれだけのことではあるが、深見けん二先生はその一瞬を見たのだ。
 
 手にした日傘を持ち替えたこと。丁度そこから坂道になる場所であったこと。この2つにはきっと女人にとっては意味のある行為だったのであろう。
 
 たとえば、さあ、ここから坂道よ、ここからは上り坂よ、気をつけてゆきましょう! 買物の荷物を抱えているのであれば、バランスをとって上らなくてはならない。
 日傘は、バランスよく歩くバロメーターのようなものかもしれない。【日傘・夏】

■2句目

  坂道の神輿傾きかがやける  山口青邨 第5句集『庭にて』 
 (さかみちの みこしかたむき かがやける) やまぐち・せいそん  

 昭和30年作。
 この神輿は坂道を上っているところであろうか、それとも、下りであろうか。神輿を肩に背負って坂道を上るのは平地で担いでゆく場合よりもずっと重たく感じる。また坂道を下る場合は、神輿が重石の役割をするから引っぱられてスピードが出てしまう。
 
 どちらも大変だが、坂道を神輿が傾きそうになりながらゆくとき、若さというエネルギーの爆発力で、神輿を担ぐ男たちを、汗まみれにして輝かせてくれるのであろう。

 坂道という難関があればこその、かがやきなのである。【祭・夏】

■3句目

  坂少し下りて中堂薄紅葉  高浜虚子 『五百五十句』
 (さかすこし くだりてちゅうどう うすもみじ) たかはま・きょし 

 昭和11年より昭和15年までの『句日記』中の昭和14年に、10月15日。日本探勝会。比叡山本坊貴賓室にて。という前書のある6句中の5句目が掲句である。
 「日本探勝会」は、百回で終わった「武蔵野探勝会」の後に継ぐ句会名である。

  高あしの膳に菓子盛り紅葉寺
  柿の皮膝をころげて足に落ち
  冷ややかに御あかしともり澄みにけり
  中堂の屋根少し見え薄紅葉
  坂少し下りて中堂薄紅葉
  秋風に見出て悲し蟻地獄
  
 なお、『五百五十句』には、掲句を含む2句はいっている。
  たかあしの膳に菓子盛り紅葉寺 ※「たかあしの」と平仮名である。
  坂少し下りて中堂薄紅葉 【薄紅葉・秋】

 季語からでなく、興味をもった言葉から作品を探すのは、思ったよりもむつかしいことであった。