第八百七十七夜 渡辺水巴の「月の牡丹」の句  

 東京から茨城県へ移転してきてから、県内の桜、牡丹、楓の紅葉と散策をつづけた。つくば牡丹苑は母も一緒に歩いたこと、入口で先代の黒ラブ・オペラをどうしても牡丹苑に入場させてくれなかったこと、その代わり、駐車場の係のおじさんが犬の番をしていてくれることになった。
 感謝しつつも、なんだか心気忙しく牡丹苑を歩いたことなど思い出した。
 
 日本一という広さと花の数だという。ボタン、シャクヤクが何百株、一千株も咲きそろうのだという。花の一つ一つが大きくて美しかった。歩きながら坂道を下り、一番下には、大きな池があって、ボタンとシャクヤクが池畔をかざっていた。
 
 印象的だったのは、池の外れ、ボタンとシャクヤクの外れに立ったとき、目の前に水田が広がっていたことであった。もう20年近く前のことなので、景色は随分と変わっているにちがいない。
 
 あらゆる風景が変化し、進化してゆくことはよいことであるが、水田が目の前にある牡丹苑であってほしい。昔のままの風景を懐かしく眺めることも、名所たる所以のように思うのだが・・。
 
 今宵は、「牡丹」の作品をみてみよう。

  日輪を送りて月の牡丹かな  渡辺水巴 『水巴句集』
(にちりんを おくりてつきの ぼたんかな) わたなべ・すいは

 「日輪を送りて」は、太陽が西へ西へと動いてゆき、夕べが近づくことである。太陽が沈むころ、この日の月が東から上ってきた。太陽の下の牡丹は、今、月の牡丹となっている。どちらも美しいが、牡丹の白くてやわらかな花びらは、月の光を受けてこそ、美しくかゞやきはじめるに違いない。
 
 「日輪を送る」とは、いったい誰が送るのか・・、天の御業、神のなせる業とおもわざるを得ない。

■1句目

  貧居の茶花は王者の牡丹かな  相島虚吼 『ホトトギス雑詠選集』夏の部
 (ひんきょの、ちゃばなはおうじゃの ぼたんかな) あいじま・きょこう

 「茶花」は、「ちゃばな」「ちゃか」とも読むが、意味がすこし違ってくるようである。「ちゃばな」は、茶道で茶会の席に飾る花のことであり、「ちゃか」は、茶の花のことである。
 「貧居」は、貧しいすまい、貧乏暮らしのこと。
 
 掲句はこのようであろうか。
 
 つつましく暮らしているわが貧しいすまいでの茶会ではあるが、茶花として床の間に飾ったのは、花の王と言われる牡丹でしたよ、であった。

■2句目

  維好日牡丹の客の重なりぬ  山口青邨 『雑草園』
 (きしきしと牡丹莟をゆるめつつ) やまぐち・せいそん  

 「維好日」「是好日」は、漢詩人もよく使っている言葉で、青邨は、俳句の中に詠み込んでみたかったという。昭和3年、青邨宅の庭は、半分は野菜畑、半分は青邨の趣くままに花を植えていたという。句集名にもなっているが雑草園と名づけて草花を育てていたという。
 
 掲句は昭和3年の作。『雑草園』は、昭和9年に龍星閣から刊行の第一句集である。
 
 深見けん二先生も青邨門下であり、青邨居での句会では誰もが、句会の前に庭を散策して句を詠んだという。牡丹の咲く頃にはこうした景に触れていたのだと思う。

■3句目

  牡丹見るこの驕奢のみ許さしめ  山口誓子  山口誓子句集『激浪』
 (ぼたんみる このきょうしゃのみ ゆるさしめ) やまぐち・せいし

 句意はこのようであろうか。
 見事な牡丹が咲いている。この牡丹を見る贅沢な驕りの一刻を、わたくしに許してもらうことはできないだろうか、どうか許して欲しいものだ。
 
 この句は、誓子が牡丹に向かっての、美人の前に額づくごとく、牡丹への賛辞を吐露したものであろう。